01-地球はアトラクション

もしも もしもやで
人でいる間に 起きること
全部 決まってるとしたら どう?


起きること、
事件、事故、家族、友達、
仕事、出会い、別れ、
住む場所、環境などなど。


全部 人間としての
うちらにはどうすることも
できんくて ぜんぶ

あるがまま なすがまま
でしかないとしたら。


そんなんありえへん 絶対嫌や
お先真っ暗、いますぐ
消えたいとかおもうかな?


余談やけど「人間」って
人の間って書くやん。

これ
学生の間とか
旅行の間みたいなことで
人をやってるってことやん。

だからやっぱりうちらは
みんな別の存在でいまたまたま
人間やってるんやできっと。

(あ、うち漢字オタクやから
 ちょいちょいこんなん
 挟むけど気にせんといてな笑)


話戻すと
いままで生きてきた中で
めっちゃ時間とエネルギー
使ってきたこと考えてみて。


「選択」 ちゃう?


なにを選ぶか
なにを選ばんか
なにに選ばれるか

なんかそんなことに
一喜一憂して

レストランの
メニューを決めるときですら
うーーんってなって正直なに選んだって
大して変わらんし
大将のオススメで! って
即答したほうが
うまいのしってんのになんか
自分で決めなあかんような
気になってる。


どの仕事やっても
どの恋人やっても
どの学校やっても

「選択」って 完璧がないやん。


いろいろある選択肢のなかから
ありとあらゆる可能性を
ものすごいスーパーコンピューター
みたいなもんで計算しつくして

どや これや!

って一瞬 決めても

うーんでもやっぱり あっちもな〜
いまこっち選んだらあっちないしな〜

とかブツブツブツブツが
始まって 結局身動きとれんくて
そこに止まったまんまな気分になる。

あ〜 なんで決められへんねやろ
うちってサイテ〜とかいうて
自分の決められなさ加減に
ヘキヘキする。

たとえ いい方を選択したように
自分をなんとか納得させてみても
心の中で その選択を疑ってたり
ビビってる自分がおって

そいつを黙らすために
あれやこれやいっぱい
ポジティブな理由付けをして
あっちよりこっちのほうが
いいに決まってるとか
ほんまにそう思ってたら
わざわざ言わんでもええようなことを
いつまでも ウジウジというてたりする。


まだみたこともない
新しいことをはじめようとしてるのに
前例が とか 経験がとか
そんなことをいいはじめて
やらへん理由を探してみたり

ほんまはとっくに飽きてんのに
過去にうまくいった
パターンを繰りかえすだけで
プロフェッショナルの流儀とか
気取ってみたり。

それもめっちゃ 可愛いと思うけど

もし そんなんひっくるめて
全部全部 決まってて

すべての「選択」を
いまこの瞬間に手離せるとしたら

めっちゃ楽やない?

YOUの人生から
(名前知らんからYOUって呼ぶわな)
分かれ道の手前で 腕組みする時間が
なくなったら どんだけ 楽チン?

目の前に現れる全部を
疑うことなく引き受けれたら
どんなにシンプル?

人間は選べる生き物

っていう思い込み、外したら

いまある世界が
全く違うものにみえてくるやん。

優柔不断 って
やさしくてやわらかくて
ぜんぶひきうけて断らない

ってことやん。

なんて まぁ ありのままに
人生を受け入れてるんでしょう、

天使やん。

生まれる時も場所も
死にゆく時も場所も
出会う人も別れの時も
なんにも選んだりできひんこと
絶対 みんな知ってるやん。

それはきっと
すでに生まれる前に
うちらの深いところで
決めた人生が ずーっと流れてて

それはそれに関わる全員が
全部納得ずくで選んでるねん。

それは全部 うちらも含めた
宇宙の仕業でもあるねん。

決めないから とらわれない。
選ばないから こだわらない。


イメージするなら
地球はひとつのアトラクション。

遊園地のアトラクション。

富士Qの 「ええじゃないか」に 乗ると
決めて並んでもうたらもう乗るやん。

椅子に座ってシートベルトして
いってらっしゃいってめっちゃ笑顔で
ゆわれたらあとはお任せやん。

なんぼ 登りの途中でビビっても
もう降りられへんやん。

そこで

やっぱり 観覧車に 乗る〜
って叫んでみても

ただの 面白い人やん。


もうそこは覚悟決めて
ヒャーって叫びながら
うっしゃっしゃーって楽しみまくって
終わるの待つしかないやん。

あとはそれをどう味わうかやん。

楽しんでも泣いてても
どっちにしてもなんか味わえるやん。

そんなことやとおもうねん。

やのに 乗ってる間に
他の選択肢のことばっかり考えたり
その選択が正しいのか
間違ってるのか考えたり
次なに乗ったろうとか思ってたら
まったくもって
乗ってることにならへんやん。

だから いま もうすでに乗ってる
その人生が
ジェットコースターやとしても
メリーゴーランドやとしても
お化け屋敷やとしても
それはそれとして味わう。

それしかないやん。

運命論とかそういうことじゃなくて
普通に考えたらわかることやねんけど
なんかすごい選択妄想を
教え込まれてそれにはまってて
なかなか抜け出されへんのよな。

だって ちょっと考えてみて。

思考が現実化するとかいうて
それぞれ個人の人生が
思いの力で全部選べるとしたら
なんでここまで
完璧にすべての物事が起こりうる?

明日なんとしても晴れて!って思う人と
明日雨降ってくれな死ぬって人が
同時に住んでる町で
いったい誰が天気を決めてるん?

YOU は 神か! ってなるやん。

普通に考えたら
思考が現実化するんじゃなくて
現実が思考化するほうが
わかりやすいやん。

現実に起こることを
深いところでしってるからこそ

それをポジで味わいたい人には
それを求める思考が湧いて

それをネガで味わいたい人には
それに抗う思考が湧くねん

話が長なったけど
シンプルに すると
全部が全部すでに決まってるとしたら
人生がどれだけシンプルになるかを
ちょっと考えてみてみてな。

もう乗ってしまったものからは
降りられへん、

それ以上でも以下でもなく
それ そのまんま
あるがままに 受け入れて
おもいっきり味わうしかないとしたら。

もちろん 自分で選んだ人生を
生きてるって
実感ある人もいるのはしってる。

やけどそれも巧妙にしくまれた
選ばされた人生なのかもしれへんやん。
信じるか信じないかは
あなた次第やけどな〜。

ちなみに うちは 選択に 迷ったときは
コインを出して(500円玉はお気に入り)
表やったらこっち 裏やったら こっち で
3回 早くでたほうの答えに従う ってことを
もう20年やってるけど(マジで)

全部、まぁ ええ感じできてるから

もう 宇宙のいうとおり
ハイすいません わかりましたって
サレンダー(降参)しきっちゃってるから
めっちゃ楽ちんちんやもんね〜。

もちろん 悩む とか 迷うっていう
アトラクションに乗ることを
うまれるまえに
選んできてる魂もあるから
それはそれでそれを味わうしかないから

あしからZOO.

ということで

今日は すべての「選択」がないとしたら
いまのそのまんまを望んだ通りのものとして
「引き受ける」としたら
どんなLIFEが広がってるか
ちょっと感じてみてねん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?