古典は役に立たない
というカンニング竹山さんのXの投稿がバズっている
そうだね、と同意する人
それは違うと自論を述べる人
いろんな意見が目に入る
今の僕の生活で日常生活で古典に触れる機会は意外とない
逆に考えると、古典に触れているからこそ古典に触れている感覚がないのかもしれない
読めてしまうからね
どうなんだろうね
勉強は役に立たない、的な論説と同じだ
国語を習ったから当たり前に国語が読める
算数を習ったから四則演算ができる
一方で学校で古典に触れたからこそ、今古典文学や何某かの研究職に従事されている方もいる
それは古典以外も同じことだ
教養と呼ばれるものに広く浅く触れることは人間の可能性を広げ得ると考えられそうだ
今必要なものだけを教える教育は、変化し続ける世界に対して常にupdateしていかないと置いていかれる
何も慣用句をみんな知ってることが大切なのではない
それは国民として同じ価値観を共有することで知らず知らずのうちに仲間意識などを作るためにあるもの、なのかもしれないが
脱線するが、人間を人間たらしめるのは噂話から始まった
想像したものを、同じ幻想を共有したこと
事実ではないものを共有した時に仲間意識を持つ、的なのは銃病原菌鉄で読んだのかしら
知識がないと世界が狭くなる
それは3歳の息子を見ていると特に思う
彼は知識を手に入れる度に世界を広げている
時計の読み方がわかった時
彼は待つという事を覚えた
知識を手に入れた時、人は気がついてないだけで世界を広げているのだ
古典に人が触れた時、少しだけ過去に向かって世界が広がる
少なくても何かの役に立つ時が来るだろう
実学以外の学問があるのは多分そのためだ
とはいえ実学以外の学問もかつては実学だったに違いない
そんな事を考えている
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