第二百一回 Gt 虎|MOVIE TORAVIA「アリス九號. TORAVIA」interview (後編)

虎の視点からバンドのターニングポイントを分析する「アリス九號.TORAVIA」。
今回はその後編をインタビュー形式でお届けする。

ーー「雑誌媒体などを使って、コンスタントに自分達の名前、グラビアが出ている環境を作る」という戦略が功を奏し、バンドの認知度が広がっていくと同時に、虎さん自身は「アリス九號.売れてるぞ」「俺らブレイクしてる」といった実感もあったんでしょうか。

虎:いやぁ、ブレイクしたとも売れたとも思ってないですね。

ーーでは音楽的な面から見て、バンドの転機となった瞬間を挙げるとしたらどこになりますか。

虎:挙げるとしたら、東京国際フォーラムA (2007年「ROYAL STRAIGHT KINGDOM」)。客席が埋まらなかったんですよ。それでみんな凹んで、「音楽頑張ろう」という方向に展開した気がしますね。あと、キングレコードから移籍する時に、時間にゆとりができたんですよ。契約上の問題でその期間はCDが出せなかったんで、それまでの活動と比べると暇な時間ができたんですね。そういう時間が訪れたのも影響してたと思います。でもね、俺は思うんですけど、昔からウチのバンド、流れはすごいよかったと思うんですね。けど、ここら辺から流れが変わっていくんですよ。もったいないんですよね。バンドとして「音楽的にちゃんといいものを作ろう」と思った時には正直、もう流れは良くなかったんです。

ーータイミングがもう少し早ければ。

虎:また違ってたと思うんですけど、この時は流れがズレてた気がしますね。

ーーキングレコード時代はリリースペースも早かったですが、あの頃は流れに。

虎:乗ってたんじゃないですかね。売り上げの数字もちゃんとあったし。

ーーレコード会社もかなりの応援体制でバンドをサポートしていた。

虎:そうですね。

ーーその頃は「バンドが流れに乗っている」「自分達に追い風が吹いてる」といった実感はありましたか。

虎:今振り返るとそれは感じてましたね。ただ俺は「芸能人っぽいなぁ」と思ってました。あの頃のスケジュールの忙しさは。

ーーその「芸能人並み」の忙しさに対して、虎さんはストレスを感じたりしていなかったですか。

虎:別に俺は感じたりはしてなかったですけどね。

ーーむしろ「このままいけるところまで昇り詰めてやれ」といった感覚でしょうか。

虎:どちらかというとそうですね。

ーーその流れが少し変わってきたのが、先程仰っていた国際フォーラムの動員やレコード会社の移籍。

虎:キングレコードからの移籍で、ちょっと活動を止めざるを得なかった時期ですね。それがデカかったと思います。そういう問題は自分達ではどうしようもないことですから。

ーーそうですよね。

虎:だから、これは今だから思うことなんですけど。もし俺がプロデュースする立場だったとしたら、そういう時に自分が担当する20代のタレントに「しっかりしなきゃ」とか「ちゃんと自分達でやらなきゃ」とか感じさせちゃったらダメだと思うんですよ。それだとなんのために事務所があって、プロデューサーがいるのか分かんないですから。結局、そうタレントに思わせてしまうこと自体、そのタレントを抱えている事務所なりプロデューサー自身が、そのタレントを今後どうしたいのか、その方向性を見失ってるということなんですよ。

ーーなるほど。舵取りをしなくてはいけない立場の人が。

虎:どうすればいいのか分からなくなっちゃってるんだと思うんです。それで「あとは自分達でどうにかしなさい、考えなさい」ではダメだと思うんですよ。もちろん、そこですごいセルフプロデュース能力に長けてるタレントとかアイドルも中にはいる訳だから、そういうタレントならなんとかできたんでしょうけど。

ーー当時のアリス九號.にそこまでの能力は。

虎:無かったし、そういうセルフプロデュース能力を伸ばす余地も無かったですからね。

ーー芸能人並みのスケジュールをこなすのが精一杯で。

虎:そう。月に20社とか撮影が入ってるので、バンドの練習をする時間もなかなか取れないような状況だったのも事実だから。

ーーでも、その月に20社の撮影をして露出を増やしていたからこその恩恵もあった訳ですよね。

虎:そう。だから、未だに何が正しかったのかは分からないですけどね。

ーー流れを掴んでいるタイミングの渦中は、そういったすべての物事が全部良い方向に転がっていくものなんですか。

虎:そうですね。最初の頃は何も考えなくてもそうでしたから。

ーーではここからは楽曲について伺っていこうと思います。「誰もが知っている曲でみんなに引っかかる曲を」という虎さんのアイデアで「明治」を制作して以降、コンポーザーとしての転機はありましたか。

虎:沙我くんの中でやりたいことがすごく出てきたタイミングというのが、「RAINBOWS」を作って以降ぐらいにあると思うんですけど、それぐらいの頃から、俺はちょっと後ろに引いたところはありますね。

ーー意識的にですか。

虎:そうっすね。

ーー「沙我くんにやりたいことがあるのなら、主導権を預けるから引っ張っていって」というスタンスですか。

虎:どちらかというとそういうイメージですね。

ーーそれで、「必要なものがあったら、それをオーダーしてもらえれば俺は作るから」といった感じでしょうか。

虎:そうそうそう。

ーー虎さんは、そうやって「テーマを与えてもらった方が曲を作り易い」と以前から仰っていましたよね。

虎:俺はそうなんですよ。なんか言ってくれないと出てこないタイプ。自分で「こういう楽曲が好きだから作る」というよりかは、例えば「企画としてこういうのをやりたいんだけど」と言われてそれに向かって曲を作るとか、そういう方が得意なんですよ。

ーー前のバンドでもそうだったんですか。

虎:前のバンドは違いました。でも、音楽面に関してしっかりしてる人がいた方がバンドは強いなと思ってたので、沙我くんがそこをやってくれたのはよかったですね。元から沙我くんはできてたんですけど、より音楽面に拘るようになっていったので。

ーーそうやって沙我さんが音楽面で舵を取るようになっていったところは、このバンドの転機でもあるんでしょうか。

虎:そうだと思います。最初は曲作りが得意な人はいなかったんで。俺も別に曲を作るのは得意じゃなかったし。最初の頃は三人とも色々間違いだらけで、ギリギリのラインで曲を作ってたと思いますからね。

ーー最初から曲作りの天才がいた訳では無かったと。

虎:無いです。今なんか、20代で才能溢れてて天才的な曲を作るヤツ、腐るほどいますから。

ーー本当に今はそういった時代で、才能ある人がネットでバズってすぐにブレイクしますからね。

虎:ですよね。そういう人達と比べると、当時の俺らはマジでギリギリのラインで曲を作ってた素人集団だったなと思いますよ。

ーーなるほど。素人集団の中から、沙我さんが音楽面で舵を取るようになっていったのは何かきっかけがあったんですか。

虎:外部のプロデューサーと色々関わるようになってから。沙我くんが変わっていったのは岡野ハジメさんとの出会いが大きいんじゃないですかね。岡野さんはベーシストなんで、沙我くんは相当言われてましたから。ウチらと違って(笑)。そこで、もう色々言われたくないし、言ってること全部が正しいのかも分からないし、というので、沙我くんの中から「俺はこう思う」という自我が出てきて、音楽的なことを勉強していって。それでどんどん変わっていったんだと思うんですよね。

ーーなるほど。

虎:そこから、アルバムとかも沙我くんが音楽的な面で仕切るようになっていって。メンバー全員でアルバムのミーティングをしながら「こういう楽曲が足りないんじゃない?」というのが出てきたら、そういうオーダーに合わせて俺は曲を作っていく、というやり方に変わっていった感じですね。

ーー虎さん自身のコンポーザーとしての欲求は、そのやり方で満たされていたんですか。

虎:うん。全然満たされてた感じです。

ーー「明治」の様に、「今のアリス九號.でこんな曲をやったら面白いのに」といったアイデア、楽曲が思いついたりした場合はどうしていたんですか。

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限りなく2次元に近い2.5Dロックバンド、アリス九號.のオフィシャルnoteです。 毎週メンバーがリレー形式でオフィシャルnoteだけの…

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