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熟語本位英和中辞典を覗く1     

100年以上前に初版


いまから100年以上前に、斎藤秀三郎は、おそらく独力で辞書を完成させた。「熟語本位英和中辞典」である。

漢字は新字体、かな遣いは、現代かな遣いに改められて、愛読者の多いこの辞書が、2016年10月末、欄外に校注をいれ、判型を少し大きくして岩波書店から出版された。

全文検索できるディスク付きである。正漢字、旧かな遣いの原本も、写真版として、この円盤に収録されている。

むかし、古本屋で手に入れた、非売品の角川文庫「辞典の話」に、中野好夫は「英語辞書のはなし」を寄稿している。

このなかで、個性あふれるジョンソン辞書を語るとき、「実にこれほど編者ジョンソンの人間味というか、それが躍如として出ている辞書もない」と述べている。

また、面白い定義として、次の三つを紹介している。

Oats. n.s. [aten, Saxon.] A grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland supports the people.‡

カラス麦 イングランドでは普通ウマに食わせるが、スコットランドでは人間が主食とする穀物

PE'NSION. n.s. [pension, Fr.] An allowance made to any one without an equivalent. In England it is generally understood to mean pay given to a state hireling for treason to his country.‡

恩給 普通イギリスでは、国家傭人に対し、祖国を裏切ったという廉で支給される年金

PA'TRON. n.s. [patron, Fr. patronus, Latin.]
1. One who countenances, supports or protects. Commonly a wretch who supports with insolence, and is paid with flattery.

パトロン ヒイキにしたり、生活をささえてやったり保護をあたえる人。金を出すときはふんぞりかえり、代償に追従阿諛を受けている、まず恥知らず野郎ときまっている。

斎藤秀三郎の熟語本位英和中辞典を評して、中野は次のように述べている。

これは日本英学発達史における巨人斎藤の一生の研究を結晶させたようなもので、あくまで日本人のつくった英語辞書であるとともに、実に個性の躍如としている点で、あるいは前記ジョンソンの辞書と双璧かもしれない・・・

「目的を遂げるためには、いかなる事をも辞せぬ」とあるまではよいが、注して「褌(ふんどし)を質に置いても初鰹(はつがつお)」などとくると、これはもう斎藤流である。まずこんな英和辞書は今後もぜったいに出まい。

中野の予言は当たった。これほど、和訳に日本語の慣用句や諺(ことわざ)などを、縦横無尽に使った英和辞書は、現在まで出ていない。

英語を母語同然にして、教育を受けてきた秀三郎にとって「褌を質に置いても初鰹」などのような格言が、何か新鮮に感じられたのではあるまいか。

また、英語でコミュニケーションをとるときは、単語ではなく、慣用句や熟語、文章として頭の中に整理できていなければ、会話は覚束ないと悟っていたにちがいない。あえて、「熟語本位」と名付けた理由もここにある。

That an Ideal Dictionary be compiled. Words are nothing in themselves, and everything in combination.

理想の辞書を作ること。単語は、ほかの単語と結びついて、はじめて用をなす。と秀三郎も英文の序で記している。

外国小説の翻訳に、次のような会話があれば、どんなに愉快であろう。

あなたの仕事のやり方って、モーリス、まるで褌を質に置いても初鰹ね。

言い得て妙だね、セーラ。生まれは、江戸じゃなかった・・東京なんだ、ぼくは。女房を質に置いても初鰹のほうが上品じゃないかな。

それなら、宿六を質に置いても初鰹のほうがずっと、気がきいてるわ。

褌の句は、いろはがるたに入っていない。「ふ」で始まる句は、江戸では、文は遣りたし書く手は持たず。上方では、武士は食わねど高楊枝。


熟語本位英和中辞典を覗く2|alicemayism (note.com)


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