140字小説 その691~695

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植物図鑑に掲載されている植物は、若き王子が目にしたことのないものばかりであった。それは、王子がまだ幼いこと、蒼い壁に囲われた宮殿の奥から出られないこと、そして何より、実際、そのような植物たちがこの世に存在しないということが関係しているように思われた。

692
亡き両親の代わりに蒼宮殿で王子の子守りを任された植物学者は、彼女が夢の中で出会った植物を絵に描き、一冊の植物図鑑に仕立てあげた。若き王子にそれを与えたのは、彼が本好きであることを見抜いたためであった。ただ、それが実在しないことを彼女は伝えなかった。

693
蒼宮殿の司書は、植物学者から寄贈を受けた植物図鑑を眺め、困惑の表情を浮かべた。この世に存在しない植物たちの図鑑。特に珍しくもないが、そのイメージが鮮やかな色彩と共に、自分の脳裏に植え付けられ、確かに育ち始めている錯覚を振り払うことができなかったのだ。

694
王子は毎日、植物図鑑を眺め続けた。手書きの絵と、詳細な情報が、幼いながら知識に飢えた頭に染み込んでいった。この草花はどこにあるのかと、王子は植物学者に尋ねた。だが、植物学者は論文らしき紙束を眺めながら、あらゆる場所にございますと素気なく答えるばかり。

695
蒼宮殿の庭師は、黙しながら庭園を歩く。片手には植物学者から貰った図鑑を持っている。一瞬広げて、すぐに閉じてしまった。庭師の植物に関する知識が、あの強烈な色彩を目にしただけで蹂躙されそうになったからだ。これは呪いだと庭師は呟き、ブルッと身体を震わせた。

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