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インドの賢者が心がけていたこと #ヨガ哲学

ヨガ哲学を学ぶ古典書には、インドの英雄や賢者の物語がよく取り上げられています。彼らのエピソードや行動を紐解いていくことで、「生き方をヨガにする」とはどういうことか?が分かっていくと言われています。

今回取り上げるのは、『バガヴァッド・ギーター 』。「神の詩」と訳されるこの物語は、世界史選択の人なら名前だけ覚えたはずの(笑)『マハーバーラタ』の一節です。荒れた時代に生きる主人公の戦士の苦悩を、人間の化身を持った神が知恵によって解き放っていく・・・という物語です。

その中で、賢者とはどんな人?という定義がいくつかあるのですが、これがすごい人なんです(笑)。

「(賢者とは)何事にも期待せず、清浄で有能。憎まず望まず、全ての企てを捨て、友愛あり、哀れみ深く、我欲のない人。あるがままを理解し、常に冷静で偏った考えや立場をとることのない人。苦楽に揺れることなく、常に満足できる人。心が確定し、信愛に満ちた人。」(向井田みお『やさしく学ぶYOGA哲学バガヴァッドギーター』より一部編集して引用)

人生に対して完全に悟りをひらいた人ですね(笑)。こんな考え方ができたら、こんな性格だったら、どんなに人生楽なんでしょうか(笑)。

ヨガの練習は自分を律する練習、瞑想は外側の意識を自分の内側に向ける練習と言われていますが、『バガヴァッド・ギーター 』において、それらよりさらに優れていることとされるのが、「すべての自分の行いの結果に対する執着を手放すこと」だそうです。

どんなに頑張っても、自分の力ではどうにもならないことってありますよね。自分としては最大限力を振りしぼったけど、もっと強い人がいて、負けてしまうことだってあります。

仕事や、スポーツなどの競走事には、いくらで売れたのか、何位だったのか、といった、どうしても「結果」がつきまといやすいし、気になるし、心が揺さぶられてしまう。でも、どうしようもない状況だったかもしれないし、タイミングが違ったら結果は変わったかもしれない。得たい結果に固執しすぎない方が良いとされるのは、「結果」はいろいろな状況や人の思惑さえも複雑に絡み合った「結果」で、個人がどうにかできるものではないことも多いからです。

賢者クラスは難しくても、どんな状況も冷静に捉えてまずは受け入れてみることは、心がけていきたいものです。諦めるのではなくて、受け入れた上でどう考え行動するか?をワンクッション置くこと。得意不得意、好き嫌いに左右されずに客観的に見ること。あれ、こういうマインドセットの話って、現代社会でもいろいろ、ありますよね。だから、哲学や古典書の内容って面白いと思うんです。

今後も、ヨガ哲学の知恵をかみくだきながら、「生き方をヨガにする」「ヨガ的ライフスタイル」の探究をしていきたいと思います!


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