何も成せなかった自分への賛歌 あとがき
こちらの作品は、あるメンタルがめためただった日にふと思いついて、衝動的に書いたものです。
なので、あまり文章として考え込まれてたり、表現を凝ったりはしていません。
ある意味素材そのまま。今が旬の夏野菜丸かじりって感じの文章です。
たまにこういう文章書きたくなるんです。大体は疲れていたり、メンタルが疲弊している時なんですけどね。
もはや黒歴史なのですが、学生の頃は落ち込んだ自分の気持ちを詩で表現する、等という中二病の極みみたいな事をしていました。
当時から僕にとって書く行為って、現実逃避だったり感情の吐き出し口だったんだと思います。
後から読むと、そんな自分に酔ってるのがありありと感じられて、その辺も含めて中二感の強い学生時代でした。
そんな風に書いた詩が、のちにある舞台の劇中歌のネタになり、あまつさえ参加者に配られるCDになって後世に残る事になるなんて、当時の自分は想像もしていなかったわけですけど。
黒歴史は残しておくもんじゃないですね。率先して焚書していきましょう。
ちなみにそのCDは今も実家にあります、多分。
皆さんは「何かを成した」という実感を持ったことはありますか?
それは別に仕事でも趣味でも、なんでもいいんですけど。
「実績」と言い換えてもいいのかもしれません。自分を代表する何かがあるかって事ですね。
僕は、未だにそれはありません。もちろんどの舞台もお仕事も、いつも全力で取り組んでるつもりですし、本当に有り難く受けていますけれど。
実感として、それを感じたことがないのです。
難しいのは、誰かから言われた事ではなく自分で認められてないって事なんですよね。
思い返せば何かあるのだろうし、「あなたはあれをやり遂げたじゃない」という人はいるのだろう。でも違う、「僕が」認められる「僕の」やり遂げたことがないのだ。
これは本作の序盤に書いた一文です。
自分で自分のやった事を認めてあげるのは、とても難しいなと最近感じます。
いつか、自分が確かにこれをやり遂げたと思える瞬間が来るかもしれません、もしかしたら一生来ないかもしれない。
仮にそう思える瞬間があっても、次の瞬間にはもっと何かないかと探してしまう。
一生をかけて「自分の成した事」を探していくような気もします。
人によってはそれを「ハングリー精神がある」とか「貪欲」とかいうのかもしれません。表現者には必要な感情なので、そういう意味ではそう思えてる自分はとても恵まれているのかもしれませんね。
でも、いつかは「自分はこれを成したんだ」と胸を張って言いたいものです。それが今際の際であれば、なお良いですね。
そのためにも今後も更に更に邁進していこうと、ビールを傾けながら思う夏の夜なのでした。
次は何を書こうかな、まだ未定なのですが、近いうちにアップしようと思います。
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