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白蛇

白蛇
八木 タケル

 K氏に呼び出されたのは、もう夜中を過ぎた頃だった。
「やあ、久しぶり。元気だったかい?突然ですまないが、君に見せたいものがあるんだ。」
 彼はそれだけ言うと、さっさと電話を切ってしまった。
 彼と知り合ったのは、さる公人の催し物に呼ばれた時だった。その人は各業界の要人を呼んで鍋でごった煮にするような、そんな催しをよく開いていた。私自身、若い頃からその人には可愛がられていたし、仕事も広がるかと思い参加する事にした。その催しにK氏も参加していた。
 K氏は貿易商を営んでおり、世界を飛び回りながら様々な物を取り扱っていた。小さい物から大きな物まで、本当にありとあらゆるものを。
 彼は話術に非常に優れ、相手が興味のある事を的確に会話にちりばめながら話す。そして、相手が話したい時には、相槌を打ちながらほしいタイミングで質問を返し、また彼の話を聞きたい時には、世界を巡った時に出会った様々な体験を、まるで活弁師のように面白おかしく語ってくれた。
「話を聞くのも喋るのもうまくないと、貿易商はやってけないさ。」彼はにっかり笑いながら言っていた。彼の口元には細く白い痣がある。生まれつきのものだそうで、彼が笑うと生き物のようにひくひくと動く。
 一回彼に傷を消したりしないのかと訊ねたが「白蛇は幸運の運び屋だ。このままのほうが縁起が良いだろう?」と言っていた。


 それから私はK氏と度々仕事をするようになった。彼は若いのに実に優秀で、自分の求める以上の品を取り寄せてくれた。彼からも依頼があり、何件か仕事をこなす内にプライベートでも度々飲みに行くような仲になった。
 彼と最後に飲んだのは数か月前、しばらく日本から離れるというので、私から誘ってうまい料亭を御馳走した。彼はえらく感激し、日本酒と料理に舌鼓を打った。
 料理もあらかた食い尽くし、日本酒も良い具合に進んだところで、私は彼に次の目的地を聞いた。
 彼は口元の白蛇を揺らめかせながら、ある欧州の小さな国に向かうのだと教えてくれた。その国に、ある魔書が保管されているという噂を聞いたのだとか。
 彼の趣味は本の収集、しかもただの本ではない。魔術だの秘術だのが記されているという、魔書と呼ばれる書物の収集に心奪われているのだという。
「とはいえ、今まで一度も本物の魔書に出会った事は一度もないんだ。大概は紛い物か、写しばかり。でもいつか、本物の原本を手に入れてみせるよ。」
 K氏がにっかりと笑いながらそう言った。
「今度こそ本物だよ。もし見つけたら、君にはいの一番に見せてあげよう。」


 その後彼は旅立ち、折々で手紙を寄こしてくれていた。国に着いた時の話、情報を集めているがなかなか見つからなかった話、現地の女性が大層綺麗だという話、そして、とうとう目当ての本を手に入れたという話。
 その後、日本に帰国した、という知らせを最後に彼からの連絡はぷつりと途絶えた。
 心配になり何度か電話をかけたが繋がらず。何か変な病にでもかかったのではないか?と不安になっていた折、件の電話がかかってきたのだった。
 私は自分の車で彼の家に向かった。夜半から降り出した雨は、小雨になりつつも降り続いている。細かい飛沫が路面を濡らし、車のライトに当たって深海魚の表面のようにぬめりと光る。街灯の明かりが目玉のように煌々と輝き、その眼下を丸く切り取り照らす。


 ほどなく彼の家にたどり着いた。人里離れた場所にある、屋敷と呼べるほどの建物だ。
 敷地内の空いてる場所に車を止め、呼び鈴を鳴らした。屋敷内からかすかな物音が聞こえ、しばらく待っていると、内側から鍵を開ける音が聞こえた。
「やあ、よく来たね。入ってくれよ。」
 彼の声がドアの向こうから聞こえてくる。ドアノブを回すと、金属をこする嫌な音とともに、扉は奥へと動いた。
 屋敷の中は、妙に薄暗く、生温かかった。目の前に伸びる廊下は、窓からの月明りがぼんやりと辺りを照らしているのみで、その一番向こうにオレンジ色の明かりがわずかに見えている。
「さあ、そのまま進んでくれ。足元に気をつけて。」
 彼の声は、この廊下の先から聞こえる。私は得体の知れない気味悪さを感じながら、ゆっくりと廊下を進んでいった。通り過ぎる窓の向こうで、変な化け物がこちらを覗いているような錯覚を覚える。しかし、そちらへ目をやっても、そこには小雨に濡れる庭が見えるのみである。
 ようやっと廊下の突き当りの部屋までたどり着いた。部屋の扉は半分開いており、そこから件のオレンジの光が漏れていたのだ。明かりはゆらゆらと揺れ、私の背後に横たわる影を躍らせた。


 部屋に入ると、そこは書斎のようだった。
 壁には古めかしい本が所狭しと並び、その中央に同じく年代物の机がどっかりと腰を下ろしている。机の上の燭台にはろうそくが灯り、火は蛇の舌のようにちらちらと揺らめいている。
「夜分に呼び出してしまって申し訳ない。しかし、どうしても君に見てもらいたくてね。」
 すぐそばで彼の声が聞こえる。しかしその姿が見えない。
「ようやっと見つけたんだ。今度こそ本物だったよ。ついに私は、本物の魔書を手に入れたんだ。おかげで私はこんな姿になったんだがね。」
 私は声のするほうへ足を進めた。革張りの立派な椅子の上に、一匹の白い蛇がとぐろを巻いている。
 蛇は真赤な舌をのぞかせながら、ぎょろりと私のほうを見上げた。
「そう、これが今の私だ。」
 私にはその白蛇が、にっかりと笑ったように見えた。

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