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ひみつ【超短編】

ひみつ
八木 タケル

 まなみはよく失恋する。
 失恋して泣きじゃくるまなみを優しく慰めるのは、いつも私の役目だ。
 学校の中庭の隅にある大きな桜の木、そのそばにひっそりと置き去りにされた古い木のペンチで、私はまなみの頭をそっと抱きしめる。
 まなみは涙でぐちゃぐちゃの顔を私の胸に押し当てて、声もなく泣きじゃくる。私の制服を両手でぎゅっと掴みながら、時折小さな体を震わせしゃくりあげる姿が、痛ましかった。
「まなみ」
私は彼女の名をささやく。気づかわし気に、優しく。
 胸の中でさらに強く私の制服を握りしめ、言葉にならない声が上がる。
「悲しいね、あんなに好きだったんだもんね」
 ふわふわの柔らかい髪をそっと撫でながら、私は続けた。

 今回はうまくいっていたはずだった。まなみもよく彼の話を私に楽し気に話してくれていたし、仲良く並んで帰る姿をよく見かけたのに。
 彼とこんな所に行った。
彼がこんなに優しくしてくれた。
彼のこういう所がかっこいい!
 その話を私はいつも楽しく聞いていた。まなみの幸せそうな顔を見るのが好きだった。
 彼女の幸せを、二人の前途を、心から願っていた。
 でも、二人は別れた。
 ついさっき、この場所で。
「なんで?なんでいっつもこうなっちゃうの……?」
 まなみはくぐもった声で、いつも同じ質問を私にする。
「わたし、何がダメだったのかな……?」
 まなみはとても可愛らしい。女子の私から見ても、とても魅力的だ。
 ちょっと色素の薄いふわふわの髪も、涙に濡れるちょっと幼さの残る顔も、私の手にすっぽりと収まる小さな体も……どれも、本当に愛らしい。
 こんな可愛らしいまなみを振るなんて、あいつ本当にゆるせない。
「まなみはなんにも悪くないよ。あいつが馬鹿なだけ」
 私は一層優しく彼女を抱きしめる。
「エリ」
真赤になった大きな瞳が私を見上げる。
 弱弱しい呼吸が、熱っぽくなった体温が、私の顔に伝わってくる。
 私は彼女の目に残った涙をそっと指で拭ってあげる。指先が涙の熱に濡れた。
「エリ、王子様みたい」
「そうだよ、私はまなみの王子様だよ」
 ちょっと芝居っぽく返すと、まなみはくすくす笑ってくれた。
 彼女の笑顔に、私も思わず顔がほころぶ。
「ほら、もっと笑って。私、まなみの笑顔がこの世で一番大好きなんだから」
 彼女は「なにそれ」と呆れながらも、まんざらでもないように笑った。
 もう大丈夫みたい。私はそっと彼女から離れた。

 まなみはのろのろとハンカチで涙を拭い、そのままスカートのポケットにくしゃくしゃとねじ込んだ。
そして鞄からキャラ物の手鏡を出し、自分の顔を恐る恐る覗き込む。
「わあ、ひどい顔だー」
 漫画のようにがっくりとうなだれてしまうA子の姿に思わず吹き出してしまう。
私は立ち上がってスカートを軽くはたいた。同じく立ち上がったまなみのスカートをはたき、くしゃくしゃに入れられたハンカチを丁寧に畳んでからポケットに入れなおした。
「エリ、お母さんみたい」
「王子様になったりお母さんになったり、忙しいったらないよ」
そして、まなみに手を差し出す。
「帰る前にトイレに寄っていこうか」
 まなみは小さくうなづくと、私の手を握り返した。片手越しに彼女の体温が伝わってくる。
 私はまなみを導くようにゆっくり歩き出した。この悲しい記憶が残る場所から、彼女を遠ざけるために。
 帰るころには、まなみは私に、いつもの素敵な笑顔で向けてくれていた。


 一つだけ、まなみに言えない秘密がある。
 私は彼女の幸せそうな顔は大好きだし、彼女の笑顔も本当に素敵で大好きなんだけど。
 私がこの世で一番大好きなのは、彼女が悲しみに暮れる姿。
 彼女が泣きじゃくる、そのどうしようもなく愛らしい姿。
 そう——
まなみと彼が別れるように仕向けているのは、他でもない私なのだ。
 今、隣で可愛らしく笑う彼女を見ながら思う。
私だけが愛でられる、まなみの悲しみが——
どうかどうかいつまでも、私だけのものでありますように、と。


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