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多様性の社会とは


多様性の社会とは、すべての国民が誰かをあざけわらうのではなく、温かい心で接し支え合う社会である。と、私はそう考えています。

では、「多様性」と聞いて、なにを想像しますか。

国籍、外見の性別、心の性別、身体障碍者、こども、妊婦さん、おとな、年配者etc…

上記のものは、心の性別以外、目に見えやすく、手を差し伸べやすいものです。
『松葉杖を使用している方がいたら荷物を持とうか声を掛けよう。』であったり、『年配者の方がいたら席を譲る』という行動が移しやすい。

けれど、目に見えにくい障害を抱えている人がいたら、どうでしょう。
ヘルプマークが普及され認知されているものの、まずその人が障害を抱えていると認識しているのでしょうか。
『なにあの変な人』と、一蹴されてはいないだろうか。

知識がある人や、自身のまわりに障害者がいて勉強している人であれば、温かい心で接しようと心掛ける。たとえば、”アスペルガー”と言っても、一人一人症状は違うため、その人がどのような場面で慌ててしまうのかわかりません。学識者でない人は、注意深く一人の人間と向き合う必要があります。

私の通っている大学は、多様性を大事にしています。
やはり、一部の知識のある学生は、本当の多様性を理解して生きています。
けれど、知識のない人は、目に見えにくいからというのか、優しい心を持っていないのか、”彼らの多様性”の中で生きています。
社会の描いている多様性が、後者でないことを望むばかりです。


現在の小学校の一クラスに4人は、知的障害を抱えていると言われている。
小学生のころから多様性の社会で生きてきたはずなのに、大学生になると、人は忘れるのだろうか。そうなってほしくない。
多様性を大事にしている社会になって、生まれてきた子どもたちには、本当の多様性の社会を創っていってほしい。

少なくとも、このnoteにいるみなさんは、多様性を理解できていることでしょう。
もっと、もっと、本当の多様性を創っていきたいですね。
ともに変えていきましょう。


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