見出し画像

ごめん。

「「ごめん」」
という単語がネガティブであることをやっと体験した。



ごめん。
なにか道徳的に間違ったことによく使われる言葉。
けれど決して道徳的にそうでなくても、用いられることのほうが多いのではないだろうか。

私の知り合いに、
ごめん🙇🏻‍♀️
ごめん🙏🏻
と、このように絵文字を使って、いかにも重くならないように絵文字を駆使してくるのだが、言わせていただくと、逆に重みが増している。
道徳的に間違えたことではない事柄に対して「「ごめん」」と言われると、こちら側はどう反応して良いのだろうか、いや、どのように反応してほしいのだろうか。

きっと私のように深く考えずこの言葉を用いてるのだろうが、私は自分自身を責めてしまう。なんで相手が「「ごめん」」しか返せられない状況にしてしまったのだろう。とか、「「ごめん」」というワードを出させないためには他に何ができただろう。などと私の行動を振り返る。
確かに、時には謝罪の言葉は必要である。しかしなぜ応用の形で使わないのだろう。例えば、相手が第三者から明日の集合場所を勘違いしていたと知った場面で、

α. 明日って駅集合じゃないの?ごめんありがとう。
β. 明日って駅集合じゃなくて学校の前で集合なんね!教えてくれてありがと!明日楽しみ!
θ. 明日って駅集合じゃないの?勘違いしてたわw明日気をつけよwありがとうwww

これら三択を見ると、明らかにβの文章がポジティブであるかがわかるだろう。下手したらβの文章の周りに花束のフレームがついて見えるかもしれない。


大げさな選択問題ではあったが、私の言いたいことは伝わるだろう。
どの角度から見ても謝る必要がなければ謝らなくてよし!
カジュアルな感じでθみたいに「「ごめん」」ではなく、次に活かすということを相手に伝えればいいと思う。


「「ごめん」」の多用化は本当に謝罪しなければならないときに、うまく気持ちが相手に伝わらないのではないだろうか。普段から、謝らなくていいものにまで謝っている人の言葉を、一回は信じない人も出てくる。肝心な場面で役に立たないと、言葉は意味を成さない。

人間は、意思疎通や自分以外の人間・動物のことも理解できることに長けてる生物であろう。特に日本語はとても美しい。美しいがゆえに、自分の発した言葉の意味をきちんと理解されないときもあるだろう。言葉は時代とともに変化する。意味が増えていったり、死語ができてしまったり。しかし、謝罪の言葉・感謝の言葉は決して死語にはならないだろう。

「「ごめん」」

が口癖になっている人は少なくないのだろう。そして私のように深く考えて使っている人も少なからずいるのだろう。
そんな人へ、
昔はあなたのことを責めていたのかもしれません。言葉の暴力を受けてしまったのかもしれません。けれど今は誰もあなたのことを責めていません。だから、あなたも自分を責めないで。自分を責めたくなるときは、現実逃避をしましょう。自分の好きなことに時間を費やしましょう。好きなことができないときは、頭の中で歌を流しましょう。歌は、裏切りません。音楽には治癒に最適です。


そして最後に、
いつからか得た知識。
ありきたりではありますが、
ごめんではなく、感謝の言葉「「ありがとう」」を今後たくさん使っていきましょう。
感謝の言葉は上辺だけでも一瞬は嬉しくなるものです。言わないより、言う後悔を。

このnoteを読んでくれて
ありがとう。
ヨーロッパは明日からサマータイムです。
深夜1時のつぎは深夜3時です。1時間ルパン三世に盗まれますが、夏が近づいているということを知らせてくれています。ありがとう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?