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空虚な世界あるいは歪み

この数日間、何人かの友人から今年の夏はどう過ごすのか聞かれた。

「たぶん何もしない」と答えた。確かに外に出れば、沸き立つ入道雲に青々とした空や蝉時雨など、一歩外へ足を繰り出すだけで夏を身体で感じられる。でも今年の暑さは、それの何よりも勝り外に出たくないという、思いが勝つ。

私は「暑いから外に出たくない。」という、すごくちいさな理由なんだけど、たぶんみんなは迷ってる。でもそれは、当然だと思う。テレビやメディアを見れば、オリンピックの祝福ムードが連日記事や動画を埋め尽くす傍ら、コロナウイルスによる感染者数は取り返しのつかないレベルで増えてるとニュースを見る。これは本来なら混じり合うことのない、混じりあってはいけない水と油のような事象が同時に起きてるようなものだとずっと思ってる。

オリンピックを中止にすればいいとは思わない。でも、今この状況で大会をやらなければならない理由が全く分からない。誰しもが納得できる答えなんてないことは分かってるけど、仮に過半数の一般の方が納得出来る正当な理由すら、この大会にはないと思う。

勿論、アスリートの方達が大会の開催を望むことは当然だと思ってる。4年という長い歳月をかけて、常人には臨めないようなノルマを自分に課し、身体的にも精神的にも鍛え上げた集大成をオリンピックという大舞台に自分をぶつける為にここまで頑張ってきたんだから大会が開催されたら嬉しいに決まってる。だから以前もあったけど、SNSやメディアを使い選手を誹謗中傷することなんて、責める相手を間違いすぎてる。

でも大会へと舵を切った人達は違う。大方の想像はつくけど、どんな理由でなんで今、大会を開催しなければいけなかったのか、真実は知らないし知りたくもない。

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時々思う…。クーラーの効いた過ごしやすい室内から見る夏の景色は、どこか儚くて涼しそうだと。実際には外に出れば暑いし、潜在意識や記憶が作用して、外も暑そうだなと思ってしまう。でも全てを取り払って窓越しにみると、風にそよがれる木々や夏特有の大きな雲が地面に作り出す影の辺りは、涼しそうだと思ってしまう。

こんな時、外界と自分のいる室内との歪みがあるような気がする…。

たぶん今の日本はこんな感じで、大会へと舵を切った人達からみる景色と現実の景色とは、大きな歪みが生まれてる。世界的にみても危機的状況の中、どんな理由で今のこの状況下に、コストは引き上げ病床を削減出来るのか意味が分からない。

医療従事者の方々は、いまこの瞬間だって命を削りながら懸命に尽力されてる。肉体的にも精神的にも磨り減らし、報酬以上の対価を払ってる。いや、恐らく多くの医療従事者の方々は対価を払ってるとすら思ってない。ただ目の前の命を繋ぎ止めたい一心で…。

今やる必要のない大会に目を向けるより、他に目を向けなければならない人達に、少しでも負担を少なくしてあげれるように、救えるはずだった命だったのにと、悲しませることがないように、もっとやるべきことがあるだろうと強く思う。


いつか…。

そう遠くない未来。

その歪みが埋まれば、このモノクロで空虚な世界も色づく時がくると信じてる…。



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今日は、ただ思いを綴りました。勝手にお名前を出していいか確認をしてないので伏せますが、あるフォロワーさんの記事を読んで、私も今の気持ちを無性に書きたくなって、ほとんど書きなぐったような記事になってしまいましたが、書いて良かったと心から思ってます。

明日からはふつうの映画記事やエッセイのようなものを、書いていきたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました!


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