義母との同居はじめました
定年退職を機に1月末に沖縄に移住し、4年ちょっと高知県のケアハウスに入居させていた義母を施設から退居させて同居生活を始めた。同居は初めて。我が家は、妻との二人暮らしだったが三人での新生活を7月からスタートさせ、1カ月が経過した。
義母は今年87歳になる。米寿の祝いを考えなくては。もう多少認知症が進んでいるけど一緒に暮らせば少しは元に戻るのでは?ケアハウスでは、コロナ渦という環境の中、多少いざこざもあり施設の人ともめていた。でも、家族だし、ちゃんと話し合って仲良く暮らせればいいなぁ。
同居前は、そんなことを考えていた。
義母は我々との同居を望んでいた。というよりケアハウスでの生活には慣れたが、スタッフや他の入居者との人間関係がやはりうまくいっていなかったようだ。また、義母は元来、我儘である。まあ、年を取れば我儘になるのは人の常か?
来沖初日、夜に到着してどこに来たのか理解できないようだった。でも、これから一緒に暮らすのはわかっていると思っていた。半年ぶりに会った私にも認識していたからだ。食事は済ませていたのでシャワーを浴びてもらい、少しだけ乾杯して自分の部屋で眠ってもらった。
でも、そこからが大変の始まりであった。
30分毎に起きてきてトイレを探すのだ。自分がまだ、ケアハウスの部屋にいるつもりでトイレに行くのだが、見つからないようだ。あっちこっち電気をつけ、扉を開け、挙句には外に出てしまった。そして極めつけは、なぜか緊急通報ベルを押し、夜中の2時にセコムが派遣されてくることに。。。
その時、私は家のインターホンにそんな機能があることを初めて知った。
義母はトイレの場所を覚えられず、どこにいるか理解できないのに、初めての家で電気のスイッチを片っ端からつけ、変則なドアでも開けて外に出ることができたのだ。まったく、私の理解の及ぶところではなかった。
義母は、歩行は困難だが歩くこともできる。自分で寝起きもトイレもできるし、シャワーも浴びれる。小さいし、よぼよぼしているようで実は握力は強い。片目は失明しているが、テレビの文字放送を常に読んでいる。翌朝、義母はまったく昨夜の騒動を覚えておらず、まだ、眠いと不満げに起きてきた。
少量のアルコールと毎晩飲んでいる睡眠導入剤の組み合わせが悪かったのだろうか。それ以後、義母の取扱についてトライアンドエラーを続け、アルコールと薬に特に注意しながら、緊張する夜を迎えている。
幸い2週間くらいで義母の「夜活」が落ち着いてきた。睡眠導入剤も医者にこっそり弱いものを処方してもらい、それでも眠れているようである。
「夜活」以外にももちろん、トイレでの変な癖や食事後の「痰活」、「独り言」、時々の「暴言」等々、私にはこれまでの生活とは異なるストレスがあるが、ストレスはお互い様なのだろう。そう考えて、気になるところを気にしすぎずに「流す」ことで、お互い少しでも快適に過ごせるように毎日を送っている。
妻は妻で、実の母親であっても日々ストレスを募らせている。それについても、愚痴を聴いてみたり、流したりしながらも、基本的には、全面的に妻の努力をたたえ、応援していこうと思っている。
まだ、同居1カ月強。これから介護等認定の調査の結果待ちで、受けることができる行政サービスに参加させようと考えている。
この続編記事は継続させていく。
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