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アニメ『進撃の巨人』 雑記①

職場の先輩が滅茶苦茶にハマったといふアニメを、我も観てみむとてするなり。
その先輩は、漫画版原作を全巻持っているのにも関わらず結末を読まず、思い入れのあるアニメ版の終結を待っていた。つい先日、「最終話まで観ちゃったよ〜!」と先輩が興奮気味に話す様子をチラッと目にして、ちょっと気になったので私も今更ながらに最初から観始めているところである。

『進撃の巨人』は、今まで何度も話題になっていたし、私も漫画は序盤だけ読んだことがあった。設定も絵も怖いし、残酷な展開と謎が多くて途中で離脱していたのだが、完結したなら今がいちばん勢いを持って楽しめるタイミングかなと思ってのことだ。

まだラストまでの道のりは長いけれど、色々と思うことが多いので感想メモとしてここに記してみようと思う。なぜなら、観終わったところまでの感想を友人に話すと、意味深なリアクションが返ってくることが多いからだ。きっと私の今の感触が覆されるような展開が待ち受けているのだろうことが予想される。そのため、今後の展開を全く知らないプレーンな自分の感想を残すことで自身の変化を見つめてみようと考えた。

今現在の私は、アニメ版シーズン①を観終わったところ。『進撃の巨人』の内容については世間の皆さんがよくご存知だと思うし、私は今さらアニメ一巡目の遅ればせニワカなので割愛する。以下、現時点での雑記。

命の味は美味いのか?
全裸で駆けて来て話が通じず人間を捕食する暴れん坊の巨人、マジ怖い本当無理。シンプルに「凶悪なモンスターを倒せ!」って言うならまだしも、人型なところにおぞましさを感じる。人型の怪物に喰われてしまうということもそうだが、この巨人を倒すにあたって巨人は殺しても良い存在なのかというのが気がかりである。
街を襲ってくるからという理由でバンバン殺してますけど・・・もしも自分の友達とか、家族とかがゾンビ化するように巨人になっていたとしたら・・・殺されるわけにはいかないが、殺し合うのは避けたい・・・。人格があることが判っているエレンやアニを除いて、走り方のヤバイ食いしん坊の巨人の皆さんはとりあえず何も考えてなさそうではあるが、人間を捕食したら吐き戻すらしいし、食べることに何の意味があるのかが今の時点では分からない。調理もしていない人間の何がそんなに甘美なのか?甚だ疑問である。『もののけ姫』に登場する猩々たちのように「人間喰う、人間の力モラウ、人間置いてサッサと行け」的な理由なのだろうか・・・。巨人の謎が気になるところであるが、私も調査兵団へ行くべきなのだろうか。

俺の屍を越えてゆけ
国民及び兵の皆さん、本当に命がけの毎日を送られていて、ご愁傷様ですとしか言いようがない。数年間の平和にすっかり慣れた頃、いざ巨人と直面したところで数多くの兵士が混乱し、恐怖に心が折れて逃げようとするシーン。どんなに熟練の兵士であっても、巨人と戦えば命を落とすことは当たり前なこの状況において、(多分)名も無き兵が逃げるか否かを葛藤していた。もう戦えない、家族と逃げたい。多くの被害を目の当たりにしながらも、ふと彼の脳裏には彼の娘が巨人に襲われるイメージが浮かんでしまう。思い描いた最悪の未来に少しでも抗うために、彼はまた戦うことを決めるのである。絶対自分の力だけではどうにか出来ないし、最悪かつ意味不明の、勝利の定義も導き方も分からない未曾有の戦況であっても、大切な未来に命を繋ぐことを考えて行動するこの世界の人々の必死さになんとも言えない感情を覚えた。絶望的な状況下でも、戦いながら散るというか・・・。俺の屍を越えてゆけ!そう言って次の人に希望を託す、未来へのリレーじゃん。そんな生き方って・・・。

誰かが繋いでくれた今日
しかしながらふと、安穏と暮らす私の日々も、きっと今まで誰かがその命を持って繋いでくれた今日なのだと思い至った。昨年、私の母が亡くなり、実家の整理をしていると先祖の家系図や写真が見つかった。私の住まいは愛知県だが、何代も前の先祖は東京や愛媛で暮らしていたようだった。遠く離れた土地でご先祖は、家族を作り子を育て、命を繋いで生きてきた。戦時中には、何人かの子を亡くしながらも10人以上産んだ女性もいた。自分の命すら危うい中でも、生きるために、命を繋ぐために、とにかく必死だったのだろうと思うと胸が痛む。そんな命の営みが数え切れないほど連なって、今の自分に集結していると思うとクラクラする。今ここにある自分の命は、いつ何処から始まって、ここまでやって来たのだろう?もしかしたらその起点は、人類より前の謎の動物、植物、微生物だった頃から始まっているのかもしれない。
今を生きている我々には、過去/未来と繋がる命のバトンが預けられているようなものだ。たとえ絶望することがあったとしても、預けられたバトンを受け取っている以上、それを無碍にするする訳にはいかない。

両親の死を通して、死に方は生き方だと常々思っている。
さて、私はどう生きて、どう未来にバトンを渡すべきか。

(進め、進撃の私)


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