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あの家に帰ろう

家に帰れない夢、というのを子どもの頃から何度も見ている。
自分がどこにいるのか分からなくなる。
見慣れた街並みが、どこか無機質で他人行儀な様子になり、私を惑わす。

私の生まれ育った実家は団地で、似たようなマンションがそびえ立っていた。
自然が豊かな治安の良い団地で、様々な公園に囲まれており、横断歩道を渡らなくても遊びに行くことができた。子供の頃は木に登り、生き物を追いかけ、小川の敷石をスキップで飛び越えて公園を駆け回っていた。

団地に群居する同じような建物の側面には、号棟を示す数字と、動物の絵。私が住んでいたのは25棟で、横向きの兎が私の部屋の窓の外に描かれていた。
小学校に上がるまでは、ひとりで外に遊びに出ることが多かったからなのか。
子どもの頃のように、認識しているこの世界がふわふわと曖昧なものに感じられる感覚を夢の世界で何度も味わっている。

家に帰ろうとしたときに、自分の家がどの建物か分からなくなる。

曲がる道を間違えたのだろうか?
似たような建物に囲まれて途方に暮れていると、近所の酒屋のおじさんが配達で出歩いているのを見つけ、建物の前まで連れて行ってもらう。

建物の左右両脇に階段があり、中央にエレベーターがある構造のマンション。
エレベーターに乗って、いつもの4階のボタンが押せない。
建物は14階建で、エレベーターのボタンの数字は、1、4、7、10、13の5つ。

動き出したエレベーターにこのまま乗り続けても止まる保証がない。
どこに行くのか分からずゾッとする。

適当な上階で降り、階段で降りて家を目指すことにする。
途端、階段の左右が交錯し、入り組んで目的地にはなかなか辿り着けない。

どこだ、どこだ、家はどこだ!帰るべき家を探して私は彷徨う。

こんな不条理な夢を何度も何度も見るものだから、大人になった今では段々と夢の世界での迷子も慣れてきてしまった。
他の夢では明晰夢などは皆無だが、この夢の世界を訪れると、「来たか・・・!」と夢だとすぐ悟れるようにすらなった。
そして、あの手この手で夢の世界を突破しようと試みるのである。
私は夢で戦ってきた百戦錬磨の戦士なのだ。

この夢世界では、確かなものが存在していない。
数字には裏切られ、左右にも裏切られ、上下や重力にも裏切られる。
多分きっと、まるで不思議の国のアリスのように不条理な夢の世界のせいで、すっかり私は数を数えるのが苦手になってしまった。自分で回数を数えるのが嫌でパーソナルジムを契約したし、仕事でも枚数、個数を数えるのを極力避けている。

とはいえ、この手の夢を最後に見たのはもう10年くらい前のことだ。

数年前に父が亡くなる前に、この25棟の家から引っ越した。
そして昨年母が亡くなり、引っ越した先の実家と呼べる帰る場所もなくなった。

お盆は先祖の霊が還ってくるというけれど。
今年の夏、私の父と母はどこに帰ってきたのだろう?
そしてまたこの夢世界を訪れるとき、私はどこに帰ろうとするのだろう?

なんとなくわかる。
探すべき場所は、帰る場所は、多分きっと・・・。


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