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ALCOHOLIC HERO #2.
2. 誰かの思考
チャイムがなり、小林愛美が達也の部屋に入って来た。
「たっちゃん大丈夫?」
愛美が心配そうな顔で達也の顔を見た。
「退院したぐらいだから大丈夫だよ。」
「さっき下でたっちゃんの友達とすれ違ったよ。」
「うん。俺のこと心配してくれて、来てくれたんだ。」
達也が力のない感じでやっと笑って見せた。
少し間をおいて達也が愛美に言った。
「ちょっと・・・こっち来て。」
愛美が達也のベッドに座る。
達也は愛美の膝のところに顔をうずめた。
「怖い。こわいんだよ。」
力を込めて愛美の腰を抱いて来た。
「たっちゃん、大丈夫。大丈夫だから。」
愛美が達也の頭を撫でた。
達也はふるえて泣いているようだった。
しばらく撫でてから愛美が言った。
「たっちゃん顔上げて。」
達也が涙で顔をぐちゃぐちゃにして鼻水をすすっている。
その顔を愛美は両手で包んだ。
そしてそっとキスをした。
ゆっくりと達也から顔を離して達也のリストカットの手首を握って、今度は自分の左手でブラウスのホックを外した。
愛美は達也に寄り添いながら、自分の胸の谷間に達也の手を突っ込んだ。
柔らかい乳房は達也の掌におさまる感じではないくらい豊満である。愛美は達也の掌を洋服の上から時計と反対周りに回した。
「私にはこれくらいしかできないから。」
愛美が小さな声で言った。
ワンルームのベッドの上。
達也は上だけ着た状態でベッドで横たわっている。
愛美がキッチンの方から下着だけ着た格好でベッドのところに水を持って来た。
「たっちゃん大丈夫?お水飲む?」
「飲ませて。」
達也がベッドから動かないまま言った。
愛美はテーブルにコップを置いて、キッチンからストローを持って来た。達也にストローで水を飲ませた。
「気分はどんなカンジ?」愛美が聞いた。
「うん。なんかちょっと頭がすっきりしたよ。ありがと。」
達也が愛美に少し笑って言った。
セックスは不安な気持ちを紛らわすのに役に立つ。
終わった後はモヤモヤが晴れてすっきりした感じがする。
水泳の後のようなふわふわした感覚も心地良い。
「ほんと?嬉しい。たっちゃんの役に立てたなら。」
愛美がにっこりした。
その笑顔を見ながら達也は小さく言った。
「俺らこんなんじゃダメだと思うから。お前彼氏早く作れよな。」
達也はウィスパーボイスのため、小さくしゃべったのでは愛美に聞こえているかどうかちょっとあやしかった。
二人はこんな関係を5、6年くらい続けている。
付き合っているわけではない。
最も愛美は達也に何度か思いを伝えているのだが、達也がはっきり言わずうやむやにしながら過ごしている。
愛美がこんな自分に好意を持っているのは嬉しいと感じるが、愛美は特に達也の好みのタイプではない。
ちょっとだけポッチャリしていてかわいらしい顔をしているので、需要はあると思う。
でも達也はスレンダー美人がタイプなので愛美ではない。高校時代の彼女はまさに達也の理想通りの女性だった。彼女のことは今でも夢に見るくらいである。
「たっちゃん、私ちょっと買い物してくるね。」
愛美が服を着用しながら言った。
「お酒、買って来てくれる?」
「退院してすぐ飲んじゃって良いの?」
「じゃあ、チューハイとかで良いや。何かはないと不安だから。」
達也が横になったまま言った。
「分かった。何か消化に良いもの作ってあげるね。」
愛美が達也を残して外に出て行った。
1時間ほど経過して、愛美が帰って来た。Miffyyのマイバッグから冷蔵庫にお茶やコーラ、それからチューハイを3本入れた。
まだベッドにいた達也が愛美に向かって言った。
「それじゃあ、少ないかも。」
「でも・・・やっぱり退院したばっかりだし、たくさん飲んだらまずいと思って。」
愛美は眉間に少ししわを寄せ言った。
「コーラとかお茶とかも買って来たから、それでごまかしてみようよ。」
愛美はキッチンで調理を始めた。結構良い手付きである。
「はい。どうぞ。」
色々と野菜が入ったおじやを愛美がテーブルに置いた。
レンゲを達也の前に置いてくれた。
一人分だけである。
「食わないの?」達也が聞くと、
「太るから。」
愛美がちょこっと微笑んだ。
愛美は過食の気があるそうである。
大学のゼミで近くの席に座った時に、達也のリストカットに気が付いて話しかけて来たのだ。
達也は一年中長袖を着ているが、やむなく半袖を着る時はリストバンドで傷跡は隠している。達也のシャツの袖の隙間から傷があるのを愛美が目ざとく発見したのだ。
「私もあるよ。」
講義室から出て、ベンチと自動販売機のあるスペースに愛美が達也を連れて行き、そこで見せてくれた。
愛美のは達也に比べて深いものはないが、細い線状の傷が幾つか付いていた。
そこから、達也と愛美は色々と自分の話をするようになった。達也が精神障害のせいで色々な加減が難しいことを話すと、自分は甘いものを食べ過ぎてしまうと言って来た。達也がもしかして食べ吐きか聞いたら、白状するように過食嘔吐があると言った。
「俺もやってたよ。中学一年から六年間。」
愛美がびっくりするように達也を見た。達也はどちらかと言うと結構な痩せ型である。
小学校の時に太っていて、そのことでいじめられていたが、2年生の後半からサッカーを始めてどんどん痩せて行ったことを話した。もう太るのは二度とイヤだと思ったのと、達也はすぐに顔に肉が付きやすいことが気になって、思春期に入るころから食べ吐きするようになったことを愛美に教えた。
その後、リストカットを経て、部活仲間との飲酒に移行して現在は酒減治療中だと現状を伝えると、愛美はさらに自分に打ち解けたようだった。愛美はそれまで摂食障害を一人で抱えていた。一人で夜間に過食してトイレに籠る。家族にバレないように色々と処理していると話した。
「あと10キロくらいは痩せたいの。」
と愛美はよく言っているが、達也は
「そのままでも充分かわいいと思うけど」と率直に言っている。
実際にややポッチャリだが顔は可愛いし、胸が大きい。必ず需要はあるはずであるが、達也のタイプではないだけである。自分が過去太っていたので、ポッチャリより痩せている方が好きである。
愛美はそれから達也に纏わりついて来るようになった。誰がどう見ても付き合っているように見えるだろうが、ちょっと距離の近い女友達である。彼女ではない。達也は高校時代の彼女のことを思い続けている。
「おいしい?」
愛美が達也を覗き込んで言った。
「うん。うまいよ。一口も食べない?」
「じゃあ、一口だけ。」
愛美が達也のレンゲからほんの1mmくらい食べた。
「だしの味がする。」
「今夜さ、泊まったりはできないよね。」
達也が愛美に聞いた。
「うん・・・。さすがにちょっと・・・。親が、彼氏がいるって思っちゃったら結婚しろってめちゃくちゃ言って来ると思うんだよね。」
「結婚はなぁ。俺はこんなんだから定職に就くのも難しいし、誰ともしないよ。」
達也は大学を出てから私立大学の事務員として就職したことがあるが2年ほど務めたところで、仕事に行けなくなってしまった。真面目な達也は仕事をきちんとしていたので、若くして責任が重い仕事を任せられるようになって来たところで、だんだん酒量が増えて、朝が起きられなくなって行った。
ほぼ二日酔いの状態で出勤し、職場ではトイレから出られなくなった。
毎朝遅刻ギリギリで出勤し、そのうちに朝の通勤中にバイクで事故ってケガをしてしまった。打撲と肋骨骨折で2週間安静と言われ、仕事を休んだ。そのまま行けなくなり、休職していたが、昨年秋に退職した。
今は得意な英語を生かして、塾の講師の仕事をしている。パートで週3、4日の仕事である。定職は無くしたが、仕事の負担が減ってだいぶ楽にはなった。しかし、定職がないことがこないだはどうしようもなく人間失格に思えてODにつながってしまった。自分には甲斐性がないので結婚もしないかなと思う。
「そうだよね。女友達と旅行に行くのもうるさい親だから。男の人の部屋には泊まれないな。」
「バレるかな?夜一人じゃ不安なんだ。」
「私も寝れないし、ラインしようよ。私も過食しそうで怖いから、たっちゃんが起きててくれたら助かる。」
「わかった。」
アルコール依存症や摂食障害の患者は症状として不眠をセットで持ち合わせている。分かり合える人間がいるのは救いである。
達也がベッドで寝がえりを打つ、時計の針の音が気になって寝られない。時計は2時50分を指している。
「まだ4時間くらいあるな。」
朝までのこの時間がとてつもなく辛い。
スマホはスリープモードであるが、愛美からのラインの通知が届いている。
「たっちゃんやってしまいました。」
泣きマークが入っている。11時20分と表記されている。
「全然じゃねーかよ。」
達也はベッドの下に隠してあったボトルを開けた。
同じ週末、祐介のライブに行くのに、良悟は達也を連れ出しにマンションに立ち寄った。暗証番号を操作してエレベーターに乗る。3階の達也の部屋のチャイムを鳴らしてもすぐには返答がなかった。一瞬ドキリとして、部屋に入ろうとした時にドアが開いた。愛美がすっぴんで寝起きの感じで顔を覗かせた。良悟が面食らっている。
「あ、ごめんなさい。私もう帰りますから。」
ドアが再び締まり、数分してから、愛美が慌ただしく出て行った。
ドアを開け、中をうかがって声をかけた。
「達也ぁ!祐介のライブだぞ~!」
開きっぱなしのワンルームのドアから達也がふらりと出て来た。
「あー。ごめん。これから準備するわ。」
かなりボヤッとした感じである。
「達也、ここまで酒臭いよ!」
良悟がちょっと強めに言った。
JR原宿駅を出て、明治神宮の方面に向かって歩きながら、達也と良悟は話している。
「彼女さ、ずっと来てくれてる訳?」良悟が達也に聞いた。
電車の中ではしこたま飲酒の弊害について説教されながら原宿に着いたが、ようやく別話題になった。
「彼女じゃないけど。」
「えっ?あれは一緒に寝てたでしょう?!」
「添い寝してもらってただけ。」
「あーっ!今流行りのヤツ?!ってあの子前から達也のとこ出入りしてるじゃん。それで彼女じゃないわけ?」
「違うんだなこれが。」
「あの子は達也のことが好きなんじゃないの?」
「どうかなぁ。早く男作ればよいのに。」
「まさか、まだ南美(みなみ)ちゃん引きずってるわけ?」
「・・・・・。」
「南美ちゃんはもう達也の手の届かないところだから。今のあの子かわいいじゃん。大事にしてあげなよ。胸も大きいしさ。」
「良悟はいつもおっぱいだな。」
ライブハウスに到着し、ドリンクのチケットで一杯受け取ってステージの開くのを待つ。多くの若者が集まって騒がしい。ここで爆発でも起こったら、とつい達也は想像してしまう。
経験的に起きないことは分かるようになったが、子供の頃はそういう想像に支配されて夜が眠れないことも多かった。
「祐介はすごいなぁ。こんなに人が集まってさぁ。達也も家燃やさなければ、ここにいたかもしれないよね。ルックス良いし、もっと売れてたかもよ?」
良悟が声を張り上げて言った。
「・・・・・!」
達也のウィスパーボイスではまったく何を言っているのか分からない。
照明が暗転し、ギターの音が鳴り響く。歓声が上がり、「NEJIRE」が登場する。祐介は帽子を被っている。
「皆と同じように楽しまなくて良いからな!自分が一番楽しんでくれ!」
祐介のMCに胸が揺さぶられた。
さすが祐介である。
達也は何だか涙が出た。
達也は他人のことばかりが気になって自分のことがよく分からなくなる。
「音楽は良いな。」
達也が言った。
「えー?何?聞こえないよ~!」
縦乗りの良悟が達也を見て聞いたが、特に言葉は必要ない。やっぱり生ライブは凄いと達也は思った。
「NEJIRE」のライブが終わり、余韻に浸りながら二人は原宿駅に戻っている。
「いや~。祐介カッコよかったなぁ。」良悟がにこにこしながら言った。
「・・・・・。」
達也の声がさらにカスカスになっている。
「ごめん。達也。ホントに何言ってるか分からないから、もう無視して良い?」
「リハビリでさぁ。また声元通りにならないかな。達也の高音で祐介とダブルボーカルでもカッコ良いと思うんだけどな。」
「おっぱいはこの声がセクシーだって言ってくれる。」
「そこだけ聞こえた。達也、お前殺されたいの?」
ムッとしながら言って、良悟が何かに気が付いた。
「あの人、死ぬかも。」
改札を通過しながら、スロープ状の通路を進むガリガリの若い女性のことを観ながら良悟がつぶやいた。
「横顔ちらっと見ただけだけど、多分。」
良悟が確認したいのであろう、少し速足で女性を追いかけた。達也も後に続く。山手線のホームに降りる階段のところでほぼ追いついた。
「やっぱり正解。」
良悟が達也に耳打ちした。
達也が女性の後ろ姿に目をやると、何だか自分のものとは違う思考が入って来た。
「電車に飛び込むつもりだ。」
「えっ?」
良悟が達也の顔を見た。
山手線到着のアナウンスは既に流れている。
何かが達也の中に入り込んで来て、勝手に体が階段を駆け下りて行く。
3段飛ばしくらいである。
侵入してきた電車の方にふらっと女性が引き込まれるように動いた。
「達也ぁ!」
良悟が叫んだ。
駆け下りた達也がそのままの勢いで女性を抱えてホームに倒れ込んで転がった。
電車に背を向けるようにホールドして倒れたが、達也の体は電車と接触し、電車の隙間とホームのすれすれのところで体が転がった。
「危ない!!」
周りがざわざわしている。
電車が緊急停車して止った。
#2.END
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