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ALCOHOLIC HERO #1.


     1. 自殺未遂



 袈裟を着た若い僧侶。宗派は不明である。頭を丸めている。

「世の中すべての生きるのが辛い方々へ。今しばらく堪えてください。この物語の終わる頃には何かしらの救いがあるかもしれません。」男が鈴を鳴らす。



 「山内さん。気が付かれましたか。」


 病室のベッドの上。

山内達也は胸部、両手、右足に7本の点滴。そしておむつに尿道カテーテルという姿で横になっていた。

傍らで看護師がバイタルをとっている。

「山内達也さん。ご自分のことが分かりますか?」

「はい・・・。」

頭がひどくぼんやりし、体は物凄く脱力している。指一本動かすことも容易ではない。

「ご気分はどうですか?」

看護師の言葉にぼんやりとした頭が少しずつ働き始める。

「何だったけ。自分は何だったんだっけ。今どうしてまだ息をしているんだっけ・・・?」

病院の天井に目を泳がせる。

「あぁ。まずい・・・。」達也は再び目を閉じた。

どうやら自分はまだ生きている。現実から目を背けるように、再び意識を消失して行く。


 診察室。達也は見るからにキツそうな女医に診察を受けている。

「命を粗末にしないでくださいね。あなた、未遂は何回目?」

達也の左手首の多くのリストカットの傷跡を見ながら女医が厳しい口調で言った。

「先生・・・。」看護師が女医に耳打ちをした。

女医がいかにも面倒くさそうな顔をし、PCの方へ顔を移した。

「これで退院して構いませんが、精神科への転院はいかがされますか。」

「今回は大丈夫です。」

診察室から出た達也に看護師が話しかけてきた。

「山内さん。誰かご家族はお迎えに来られますよね。」

「妹が。」言って、エレベーターホールへ向かう。

一週間程度の入院でも筋力が落ちている感じがする。


病室に戻ると、妹の美佳が難しそうな顔で達也に言った。

「いい加減にしろよな。このクソバカが。」

「母さんは?」

「家だよ。お前のせいでノイローゼ悪化してるわ。このクソバカ兄貴が。」

美佳が辛辣に達也を非難した。



 達也はOD(オーバードース)で救急搬送された。うつ病で処方されていいた薬の余りを丼に盛ってハイボールで流し込んだ。

200錠くらい飲んだかなと思う。

自室で倒れているのを幼馴染の松本良悟(まつもとりょうご)が発見し、119番通報してくれたそうだ。達也は高校生でうつ病を患い、完治しないまま良くなったり、悪くなったりを繰り返している。その合併症でアルコール依存症も持っている。

受験勉強の気晴らしに十代から飲酒しており、こちらも年期が入っている。


 美佳は金髪で髪を肩まで伸ばし、派手目の化粧をしている。ダメージジーンズにパーカー姿である。
 病院から自宅まではタクシーで40分くらいかかった。途中母に電話をかけた。


 「母さん。今日退院しました。心配かけてごめんなさい。」


 電話越しの母の声は暗かったが、達也が生きていてくれて嬉しいと言っていた。母は昨年父親が亡くなってからずっと鬱ぎがちである。

そんな母にさらに負担をかけてしまった。

自殺なんてやってはいけないことは達也も知識としては知っている。

しかし、今を生きることが辛くて仕方がない。

それが自分の病気なのだ。

達也の派手な自殺未遂はこれで3回目だ。

1回目は高校生の時の失恋が原因だった。真冬の川に入水したのだ。当時の彼女が達也の親友に電話をかけ、勇敢にも川に飛び込み助けてくれた。

2回目は浪人生の頃、自宅の窓に目張りしてレンタンを焚いた。結果自宅が半焼し、達也は一酸化炭素中毒になる前に大量に煙を吸って、気道に火傷を負い重体になった。達也の家の周りは朝方にも関わらず、野次馬が集まり救急車が来るのが遅れ、この時は本当に生死をさまよったが一命を取り留めた。火傷を負ったのが気道だけで、外傷がなかったおかげでその後の人生は少しは生きやすかったのかもしれない。

しかし、この一件で、父親が達也と暮らすことを拒絶した。精神科に長期入院させられ、退院の後に現在のマンションが用意されていた。


 「もうシャバには戻りたくない。」


 心の中でつぶやく。

口に出したところで、美佳に誹謗中傷されるだけのことである。

美佳は中学で家出して、発見された時は随分と荒れていた。達也と美佳の父親は厳格で厳しかった。

学歴順守で達也にも美佳にも進むべき道を押し付けて来た。

酒に酔うと質が悪く、時折手が付けられないほど暴れることがあった。

母親に対する態度も横柄で、父の理不尽な支配に耐えながら自分たちを育ててくれる母親がかわいそうだと思っていた。

大人になったら本気で殺してやろうと思いながら育ったが、武道をやっていた体の大きな父親に下手に手を出すことは難しかった。

達也は可憐な母親に似て優男の類である。

達也から見て、4歳年下の美佳に対しては、父親は甘いように見えていた。

女の子と言うこともあっただろうが、達也に比べ、美佳はデキが悪かったため、あまり期待もしていなかったのかもしれない。

しかし、毒親であっただろう親の下では美佳は今のように強くならなければ生きられなかったのだろうと思う。

父親が体を壊してからは美佳は実家に戻り、母と共に父親の世話をしていた。母の負担を軽くしたかったのだと思うが、父親はひどく喜んでいたそうだ。父親はアルコールが原因の肝機能障害で亡くなった。

自分で動けなくなるまで酒を飲んでいたそうだ。

美佳は定時制高校を卒業し現在は美容学校に通いながら美容室勤務している。父親が亡くなってから母親がずっと鬱いでいるため、美佳が実家で母親と一緒に暮らしている。

父親の支配から解放されれば、母が楽になるのではと思っていた。

達也自身もひどい息子だと言われてしまうかもしれないが、自分の心が助かるのではと期待したが、それはつかの間のことだった。

鬱いでいる母を見るのが辛い。

父親が亡くなったところで精神病を患って通院している自分が変わる訳でもなかった。職場の人間関係が変わる訳でも自分の性格が変わる訳でも何でもない。ただ父親がいなくなったと言う事実だけで、嫌な記憶が達也の中にずっと存在し続けている。

父親は死んでもなお達也を支配しているのだ。

毎日苦しい刹那の連続だ。

心臓はいつもわしづかみにされ、夕方からベッドに入るまでは巨大な刃物が容赦なく達也の心臓目掛けて侵入してくる感じがする。その度に呼吸が苦しくなるのだ。

睡眠薬では眠れないことも多く、医者から止められているが、焼酎やハイボールを寝酒で使うこともある。

長い夜を過ごすよりは気が紛れる。


 タクシーが、単身者が20世帯くらい入っているだろうオレンジの外装のマンションの前に停まる。
 7年ほど前から暮らしている達也のマンションである。

「またここに帰って来てしまった。」

マンションを見上げて、達也の気分が沈んで行った。

7階建てで1階部分が不動産屋になっている。達也の起こした火事の後に父親が用意した住まいである。エレベーターには暗証番号が設定されており、7階屋上には侵入できないようになっている。達也が飛び降りないように配慮されているマンションである。


 「オラ、とっとと歩け。」


 美佳が罵声をあびせた。達也は26歳、美佳は22歳であるが、立場は完全に美佳が上である。

人様に迷惑をかけるできそこないの自分は実の妹に罵声を浴びせられても当然である。


 エレベーターで3階まで登り、自分の部屋の前まで行くと、幼馴染の松本良悟が立っていた。

「今日退院するって聞いたからね。」良悟は人懐っこい笑顔をこちらに向けている。


 「美佳ちゃん。荷物あずかるよ。」

良悟が美佳の持っている紙袋に手を伸ばした。

「あー。すんませんね。兄貴のこと、お願いしちゃっても良いすか。自分仕事に行くもんで。」

「良いよ。僕仕事、お休みもらってるから。」良悟が美佳に優しく笑いかけた。

良悟は大学では心理を専攻し、臨床心理士として都内の比較的有名な精神科で勤務している。達也とは小学校からの幼馴染である。

ぺこりと頭を下げ、美佳はさっさとエレベーターに戻って行った。


 「見つけた時はびっくりしたよ。随分派手にやったねぇ。」良悟は笑いながら言った。

良悟は童顔でかわいらしい顔をしている。

いつもにこにこしていて、周りをほっこりさせる雰囲気を持っている。達也と同じ26歳であるが、下手したら高校生でも通ってしまいそうである。鍵を開け、自分の部屋に入ろうとしたが、手元が思うように動かなかった。

ODの影響が残っているようだ。

「貸して。」

良悟が鍵を開けて達也を部屋に入れてくれた。

玄関を開け、正面にワンルームの自分の部屋がある。入ってすぐキッチンとバストイレがあるがその間に少し広めのスペースがある。達也はここで倒れていた。


 ワンルームに入りベッドに座ったところで玄関から声がした。

「おーい!来たぜ。」

五十里祐介が部屋に入って来た。

祐介は花柄のシャツを着ている。長身で線の細い男である。頭は坊主で、見方によってはチンピラのようだ。

「おー。達也。生きてたなぁ!」祐介が口元を緩めて言った。

良悟も祐介も小学校からの同級生で高校まで同じ部活で多くの時間を共に過ごしている。

子供の頃からの信頼で、いくら達也が常識を逸脱したような行動を起こしても2人は変わらなかった。

達也が入水した時は祐介が川に飛び込んで助けてくれた。今回のODでは良悟が発見してくれなければ今自分はここにいなかったかもしれない。


 こんな友達がいるのに自分は死のうとした。

物凄い自己嫌悪の渦が頭でぐるぐるとし始めた。

こうなりだすともう止まらないのだ。

不安でそわそわして来てしまう。

体を一か所で留めておくことに物凄いエネルギーを使う。

「・・・・・。薬、飲んで良い?」達也が言うと

「薬は用法用量を守ってね。処方薬見せて。」

良悟が笑顔を絶やさないまま言った。

「ばーか。信心しろお。法華経を読め。」祐介が言った。

「自分が坊主の癖に全然信心してないじゃん。」良悟が祐介の言葉に噴き出した。

祐介は真言宗の寺院の跡取り息子である。

仏教大学を卒業し、実家の寺の仕事をしているが、かなりの生臭坊主だ。

「しかもさぁ。法華経って、宗派違うんじゃない?南無阿弥陀仏だよね。祐介のとこって。」良悟がにこにこしながら言った。

「空海のヤローはうさん臭ぇんだよ。俺はどっちかてーと真面目だから?最澄派だね。つーか何でも良いのよ。自殺するくらいなら宗教でも何でも頼れっての。祈祷してやろうか。」


 祐介が達也に向かって言った。物語冒頭の僧侶は祐介である。


 「良いよ。効かないから。」達也が唇の端を引いて答えた。

笑顔を作ろうとしている。


 「週末、俺のライブ観に来いよな。」

祐介はロックバンドでギターを弾いている。

祐介の父親はひどく反対しているが、祐介はメジャーデビューしたいと思っているそうだ。

「体調が良かったらね。ああ言う騒がしいところは辛い時あるんだよね。」

「馬鹿野郎。人の心を救うのは宗教より音楽だぜ。」

達也は祐介の作る音楽が割合に好きだ。

高校時代はサッカーをやりながら、祐介のバンドでボーカルを務めていたこともあるが、浪人時代の自殺未遂で気道を焼いてから達也はウィスパーボイスになってしまったため、それからはやってない。

現在はボーカル不在で祐介が歌っている。達也は祐介の重低音も好きだ。自分がいなくなりバンド的に良かったと思っている。

「最近は調子良いと思ってたんだけどなぁ。ダチに死なれるのはちっとしんどいから止めてくれよな。」


 祐介はこう見えて根っこがすごく優しい男である。

「あはははぁ。大丈夫だよ。達也は病気の顔してるけど、死相は出てないよ。」良悟が笑いながら言った。

「お前が言うならまだ当分生きてるな。天寿を全うしろよ達也。」祐介が言った。


 良悟は昔から、人間観察が趣味で、中学の頃から、何となく死にそうな人間の顔が分かるようになったのだと言う。

中学のサッカーの試合の時に来ていた保護者が死ぬんじゃないかと良悟が言い出した。まさかと思っていたら、それから数日後に市営住宅の屋上に侵入し、飛び降りて亡くなった。

テレビを観ながら、俳優やアナウンサーが死ぬんじゃないかと良悟が言い出すと、期間はまちまちであるが必ず亡くなった。

百発百中だった。

良悟はそんな人間たちを助けたいと言って、大学の進路を決定した。しかし、いくら心理を学んでも死相の出ている人間を変えることは難しいと常々言っている。

最近は少し諦めが入って来ているような発言をすることもある。

せめて幼馴染の力にはなりたいと思ってくれているようだ。

「とにかく達也は病気の顔はしてるけど死にそうにはないんだよね。」

「お前嘘つくんじゃねーぞ。」祐介が言った。

「僕が言って外れたことある?」

「いやないな。」

良悟と祐介の会話。


 「とにかくさ、酒は症状悪化させるから、止めといた方が良いよ。薬も決まった分だけだよ。絶対。精神科の受診の時は今度は僕付いてってあげるから。」

頭の中は不安でぐるぐるし始めたが、今はこの二人のために生きていようと思った。

祐介のライブを次の目標にして1日1日をまた刻んで行くしかない。

「分かってるけど、しんどい・・・。」

考えたら途方に暮れた。

「じゃあ、僕らはそろそろ帰るね。」

「達也、そう言えば飯は?」祐介が聞いた。

「愛美が来てくれるって。」

達也はジーンズのポケットからスマホを出して言った。

「あ、そう。じゃ大丈夫だね。」良悟が笑顔で言った。

「達也、あんまりあの子便利に使い過ぎるなよ。」祐介が言った。


 良悟と祐介はエレベーターを降り、マンションを出たところで小林愛美とすれ違った。

少しふっくらしているがかわいらしい感じの女性である。

達也の大学時代の同級生らしいが、達也から紹介されたことはない。

Fカップぐらいありそうな胸に良悟がつい目を奪われてしまった。愛美はエレベーターホールで暗証番号を押している。

通り過ぎてから祐介が言った。

「お前すごいスケベな顔してたぞ。」

「あれは見ちゃうでしょ。達也は見た目が良いから得してるよなぁ。良いな。」

良悟が少し口をとがらせて言った。

#1.END

作:賀川佳智
イラスト:若狭星

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