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【映画】「ミッドナイトスワン」にただただ打ちのめされた。

映画「ミッドナイトスワン」は、トランスジェンダーの凪沙と、育児放棄により親の愛情を知らない女の子、一果との究極の愛の物語だ。
そして私にとって、映画でこんなにも泣いたのはこれが初めてだった。

※ネタバレ

化粧をし、ヒールをはき、サングラスをかけて新宿を闊歩する。性別は男。定期的に女性ホルモンを打ち、夜はショーパブで踊る。ネオン街の古いアパートにひっそりと暮らす、それが凪沙だった。

偏見を持ってはいけない、そう頭では分かっている。女性だと思わなければいけない、そう思ってもどうしてもそう見えないし、自然に生きていなくて、すごく生きづらそうだな、それが凪沙に対する第一印象だった。

注射の副作用か、それとも精神的なものなのか、凪沙はいつも体調が悪そうで、何かの錠剤を呑んで気分を落ち着かせていた。こらえきれなくなると、「なんで私だけ」と泣き叫んだ。「泣けば落ち着くのは分かってる」と言って泣き続けた。いったい何度同じ夜をひとりで超えてきたのだろうか。

ある日一果がやって来て、一緒に住むようになった。新宿駅東口で凪沙と初めて出会ったとき、一果はとくに驚くこともなく、凪沙について歩いた。

最初こそ険悪な雰囲気だったけれど、一果の習うバレエをきっかけに徐々に会話が生まれた。二人は、誰にも守ってもらえない、似たもの同士だった。

一果のバレエ教室で、先生が、本当にごく自然に凪沙のことを「お母さん」と呼んだ。凪沙の笑顔がはじけた。その笑顔がとてもかわいかった。私の目には初めて、女装している男性ではなく、女性としての凪沙が映った。

凪沙は、一果のために昼の仕事を始めた。一果のためなら、何でもできた。本当の自分を捨て、男として生きることさえも。

それなのに、突然本当の母親が現れて、一果を連れ去った。凪沙はきっととてつもなく悲しかっただろう。育児放棄するような女が血のつながりだけで母親面するなよと、悔しかっただろう。私のほうが母親にふさわしいのに何故こんな体なの・・・!そのとき凪沙は、性転換手術を受ける決意をした。

一果を取り戻しに、凪沙は広島へとやってきた。女の姿で、初めて家族に会った。その姿をみた家族は、病院へ行け、化け物と、凪沙を拒絶した。でも凪沙は泣かなかった。泣くにはもう一果を愛しすぎていた。「手術したから、あなたのお母さんになれるのよ」と、まっすぐ一果を見つめた。

別に以前のままでも充分だったのに、と思った。でも、女性が命がけで母親になるように、凪沙が母親になるためには、彼女も命を懸けるしかなかったのかもしれない、そうしないと、本当の母親に勝てないと思ったのかもしれない。

結局、凪沙が一果と過ごせた時間はほんの少しだった。手術の合併症で体はボロボロだったから、観ていてとてもつらかった。

凪沙の人生は幸せだったのだろうか。性に葛藤し、社会から認められず、家族からも理解されなかった。彼女の人生のほとんどは苦しみだったとしか思えない。

でも、最後に海辺でバレエを踊る一果を見つめる顔は、とても幸せそうだった。愛する娘と過ごす二人きりの時間。

彼女はそのとき、まぎれもなく母親だった。

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