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やっぱり生じゃなきゃね

映画が好きだ。映画館で観る映画が好きだ。

劇場での鑑賞が何故面白いかというと、その日その場所に集まっただけの赤の他人と「映画鑑賞」という体験を通して同じ時間を共有し、感動を皆で分かち合う一体感、あるいは正反対の反応を見て自分と他人の違いを意識する瞬間、そのどちらにも興奮を覚えるからだ。

例えば、僕の大好きな濱口竜介監督の「親密さ」という作品を鑑賞した時に、自分にとっては含みのある物凄く怖いセリフだと感じたシーンで、前の席のおじさんが笑っていたことがあった。
冷笑、嘲笑か。皮肉に対する「私はその情趣を理解していますよ」という返答の笑みか。あるいは、言葉のやり取りのおかしさに思わず笑ってしまった、というだけのことかもしれない。
いずれにせよ、「笑う」という選択肢が無かった自分にとって、その反応それだけで「彼はどうしてこのシーンで笑ったのか」と考察を深めることになった、印象的な出来事だった。

家でひとりで観ていたらそうはならない。他人の目を気にせず作品に集中できるという良さ、魅力ももちろん分かるし、何回も観ている映画であれば気になるシーンで止めたり巻き戻したりしながら、じっくりとその世界に浸ることができるという素晴らしさがある。だが、自分が主体的にコントロールして観ることができる映画体験(ネトフリ等)と、決められた時間、場所に赴いてそれを享受するしかない(映画館)という映画体験では、根本的に質が異なると感じている。

昨今ではサブスクの台頭も相俟って、劇場での上映を必ずしも想定して作られていない映画作品も増えているように思う。しかし、やはりあの大画面で、あの音響で、閉鎖され一方的に体験を押し付けられるあの空間でこそ成立する芸術が、あるのだと僕は信じている。

どちらにも良さはある。ただ、映画館で観るという体験そのものに価値を見出している自分にとっては、「やっぱり生が1番だよね。」という感想に尽きるのである。ライブ然り、コンサート然り、舞台然り。「その日その時」という偶発性、ヒリヒリした生にいつまでも触れていたい。

そんなこんなで、今年に入って既に劇場で約30本観た。このペースでいけば年間100本は優に超えることになるだろう。決して余暇の時間が多くは無い日常の中で、それでも熱量を持って文化芸術に接していきたいし、絶やさず愛を紡いでいきたい。
あぁ、まだまだやりたいことだらけだな。ありがたいな。「ネガティブを潰すのは没頭」というオードリー若林の言葉が、いつでも胸の底で光っている。

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