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この感情が“恋”だと知っている

よく思い出すのは、高校の最寄駅。ではなく、その隣のターミナル駅だ。


僕の高校には最寄駅が2つあった。校門を出て右側のA駅と、左側のB駅。どちらの駅を利用するかで登下校のグループが自然と分かれることになるが、ダラダラ話すことが生き甲斐のような高校生にとっては、この通学路が同じであるか否かという点は非常に重要だった。

A駅の隣にある中規模のターミナル駅は、B駅からも行くことができた。高校の最寄駅には大した商業施設が無かったため、我々高校生が遊ぶとなるとそのターミナル駅に出ることが多かった。

そして、僕と当時好きだった人(彼)の住まいは、そのターミナル駅を起点にして別方向に帰るような位置関係だった。

初めはAとBの異なる駅を利用していたのだが、お互い同じ通学路で帰りたい(話したい)があまりに、途中から彼の方が定期券のルートを変更して、僕が使っていた最寄駅からターミナル駅を経由して帰るようになった。今考えると、大きな愛である。お前俺のこと好きじゃん、と尊大に懐古したりする。


彼とのおしゃべりは、いつも新鮮で楽しかった。通学路だけでは飽き足らず、ターミナル駅で一旦降りて話し込むことも多かった。次の電車で帰るねと言いながら、話が弾んで何本も見送った。椅子に座るでもなく、荷物を下ろすでもなく、駅のホームでひたすらしゃべっていた。

一緒にいられる時間を引き延ばせるなら、多分内容なんてなんでも良かった。
周りの目を気にする余裕も無かった。
いつでもどこでも、ただ一緒にいたかった。
彼の瞳に、少しでも長く自分を映していたかった。
aikoの“アスパラ”よろしく、わざわざ彼のクラスの近くに行って、彼の前を横切ることで自分に気付いてもらおうとしたりしていた。(健気過ぎる)

しばらく自覚が無かったのだ。
仲の良い友だち、何でも話せる親友。
その域を超えた特別な存在に抱く感情の名前を、まだ知らなかった。

今ではもちろん分かる。
あの時の衝動的な、暴力的な、支配的な感情。



「彼のことが好きなんだ」



ずっと胸の中でモヤモヤとしていた気持ちがこの言葉に集約された時、本当に雷に打たれたような気がした。そして、目の前が真っ暗になった。

どうしよう。男同士なのに、好きだなんてどうしよう。動揺する気持ちとは裏腹に、よく考えてみたら下心もあった。今まで想像しようとしてこなかっただけで、彼とそういう関係になっているところを頭に浮かべてみたら、涙が出るほどそうしたくなった。最低だ。できることなら気付きたくなかったが、もう引き返せる訳も無く更に落ち込んだ。

悩みに悩んだが、告白する勇気もセクシャリティーをオープンにする(どころか受け入れる)勇気も無かった僕は、ずるいと思いつつも友だち以上の感情を抱きながらそばにいることを選んだ。

気の迷い、若気の至り、彼は僕にとって大切な友だち。そう言い聞かせて、今までと同じように接しようと心がけた。

好きで好きでたまらないのに、好きという気持ちが消えて欲しいと願いながら過ごした。友だちとしてそばにいられるだけでも良いだろうという思いと、あぁやっぱりどうしようもなく好きだなぁという思いが頻繁に交錯した。

だが努力の甲斐あってか次第に、本当にゆっくりと、恋心はなりをひそめていった。このやり方が正解だったかどうかは分からないが、未だに彼とは友だちでいられているので、これで良かったのだと思う。

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あの時の恋が最初で最後、ということはもちろん無く、その後大学で新しく好きな人もできたし、運良くその人と付き合えたりもして、少しづつ僕は大人になっていった。そして、大人というのはシンプルなことが見えにくくなるものだと、最近感じていたりもする。

相変わらずカミングアウトをする気は無いが、ステディな相手が欲しいとか、寂しい時に誰かと肌を重ねたいとか、一丁前にそういう欲はある。だが、“恋の何たるか”という尺度が自分の中にある以上、その物差しを蔑ろにするべきでは無いのではないか。ルックスや条件で相手を選ぶ、というようなものでは無かったということを、今一度思い出すべきではないか。


剥き出しで不恰好、そして無垢なものだった、恋は。

いつまで夢を見ているんだと揶揄されても、この感情が“恋”だと言えるものを知っている以上、簡単になびいてはいけないと思うのだった。

自分の気持ちは自分で大事にしていきたい。忘れないよう、自戒を込めて。

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