恋の上澄み

先輩がX(旧Twitter)に投稿していて、ふと気になった言葉。「恋の上澄み」。うーん、なんとも言えず良い。

片想いでも構わない。好きな人の一挙手一投足が気になり、些細なことで一喜一憂しつつも心ときめく魅惑の時間。独りよがり故に担保された、陶酔のひととき。
両想いなら尚更。好きな人から発せられる「好きだよ」という言葉には、もはやこの喜びを超えるものなんてこの世には無いのではないか、と錯覚してしまうほどの破壊力がある。存在そのものをまるっと肯定してもらえたと思えるような、魔法の響き。

でも、恋するのって実はけっこうツラい。
振り向いてもらえる確率の低い人を好きになって悶々としたり、交際相手からの愛情を心から信じられずに自分ばかりが好きなのではないかと悲しくなったり…過去を振り返ってみても、恋人もいない、気になる人もいないという時期の方が、精神状態は安定していたように思う。それでも、また性懲りも無く恋愛に向かっていってしまうのは、ひとえに「恋の上澄み」が余りにも蜜の味だからなのだろう。

恋がしたい、のではなく、恋の上澄みを啜っていたい、という人のなんと多いことか。だから世の中から浮気や不倫が無くならないのか。「恋人」や「配偶者」という関係に生じる責任を放棄して、美味しいところだけ味わっていられるなら、恋愛はひたすらに楽しくハッピーなものになるだろう。

恋は、望むと望まざるとに関わらず突然やってくる。自覚した瞬間から、毎日がちょっぴり色付く。やれやれとぼやいてみても、身体のどこかで上澄みの甘やかさを思い出す。
待ち受ける困難や苦悩を知っていて尚、蜜の香りに吸い寄せられてしまう…そんな恋があと何回できるのだろうと、ふと時の流れに想いを馳せた。

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