なぜ日本で暴力やいじめが無くならないのか

こんにちは。
たまには野球に関するトピックでも書いてみます。

楽天イーグルス所属の安楽選手が後輩に対してハラスメントを行っていた疑いがあると報道がありました。

報道によると、後輩選手を裸にさせたり頭を叩くなどの暴力行為が報告され、現在球団が調査中とのこと。
個人的には一刻も早く真相を明らかにして欲しいですし、適切な処分を下すことを望みます。

ただ、このようなパワハラやいじめに関する報道は何年も前から繰り返されており、先日も宝塚歌劇団でのいじめが報道されたばかりです。
にも関わらず、なぜ暴力行為がなくならないのか。

それは多くの人が「許される暴力がある」と思ってしまっていることが原因だと思います。このような報道に対して世論は批判的であるにも関わらず、です。

それを感じたのは2022年にあったウィル・スミス氏のビンタ事件でした。

アカデミー賞の授賞式で、司会者に奥さんを侮辱されたことに対してウィル・スミスさんが彼に詰め寄って平手打ちした事件です。
この件は日本でも大きく報道されましたが、SNSやテレビのコメンテーターの方々も「家族を侮辱されたのだからビンタするのは当たり前だ!」と、ウィル・スミスさんを擁護する声が多く上がりました。

この時、自分の中で全てが繋がりました。
あぁ、日本では状況によって暴力が許されると思ってる人が多いんだな、と。
だからいじめや暴力はなくならないんだな、と。

当たり前の話ですが、人を殴ったり傷つけたら傷害罪や暴行罪といった罪に問われます。
正当防衛や合意のある格闘技の試合などの例外はありますが、アカデミー賞の件のような「家族を侮辱された」ことで暴力行為に及んでも無罪にはなりません。

翻って、今回の事件について考えてみます。
今は安楽選手が暴力やいじめに至った背景が報道されてないので加害者に非がある世論が大多数です。
ただ、実は被害者が加害者の家族を侮辱したり尊厳を傷つけたりするようなことを言っていたとしたら「そういうことを言う方が悪い」と世論は逆転するでしょう。
(あくまでも例です。今回の件でそのようなことがあったとは思ってません)

もっと言うと、例えば試合で打たれた選手に対して後輩が「先輩弱っわww 先輩投げると負けるから出て欲しくないんですけどww」みたいなことを言ってたとしたら、意見はかなり割れると思います。
こういった発言を許せるかスルーできるかは人によって差がありますし、今まで育ってきた環境なんかにも左右されます。特に体育会系のような上下関係の厳しい環境で育っていたら絶対許せないはずです。いずれにせよ暴力を振るった加害者を擁護する声も出てくるでしょう。

ですが例え加害者に共感できようが「暴力受けても仕方ない、いじめられても仕方ない」って思っていても、罪は罪です。「暴力はダメよ」ということが法律という社会のルールで明示されている以上、やってはいけないのです。個人のお気持ちや感想で暴力が許されるようになることは法治国家としてあり得ません。
(なのでこの考えがおかしいって思う人は法律改正案考えて提案してみてください。多分変な法案しかできないので)

ただ、日本って何故か法律というルールより個人の感情の方が優先されがちです。
だから法律で禁止されていても、個人的に問題ないって思えば暴力も(少なくとも自分の中では)許されるのです。さらにその感情が共感されれば、賛同者の中では暴力が許されてしまうのです。冷静に考えると非常に恐ろしいですが。

だからSNSとかヤフコメで安楽選手や宝塚歌劇団を批判してる人達も、実は自分たちの周りではいじめや暴力に加担していた、なんてことが普通にあると思ってます。灯台下暗し。
今の世の中の価値観のままでは暴力は肯定され続けることになり、「どんなことがあっても暴力で解決してはいけない」という意見が定着しない限りはこの手の報道はずーっと続くでしょう。
許せなくなる気持ちも分かりますけどね。でも暴力を振るったらその地点で罪を被ります。余計な罪を背負わない、別の方法で解決すべきでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?