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同性愛者のコンバージョンセラピーの歴史

1 はじめに


 2023年2月1日、産経新聞に以下のような記事が掲載されました。

 同性愛やめたい…苦悩の声を聞く元同性愛者の牧師 李ヨナ氏インタビュー https://www.sankei.com/article/20230201-XTEG4X732BI77BHIME3VNCEMUY/ @Sankei_newsより

 韓国出身の「元同性愛者」の牧師が、同性愛をやめたい人のカウンセリングをしているという記事です。
 このような、性的指向や性自認を変えようとする治療をコンバージョン・セラピーといいます。コンバージョン・セラピーは一般に精神的に有害な影響を与えるといわれています。

 たとえば、次の論文では、同性愛のコンバージョン・セラピーのサバイバーは精神的な問題を抱えている割合が高いことが実証されています。このような研究は、これまで多数行われていますが、長期的に性的志向や性自認を変えた治療法というのは知られておらず、また逆に精神的、肉体的に深刻な被害を生み出してきていて、いまでは「ニセ科学」に分類されることも多くなりました。

Higbee M, Wright ER, Roemerman RM. Conversion Therapy in the Southern United States: Prevalence and Experiences of the Survivors. J Homosex. 2022 Mar 21;69(4):612-631. doi: 10.1080/00918369.2020.1840213. Epub 2020 Nov 18. PMID: 33206024.
 
ではコンバージョン・セラピーとはどのようなものなのか簡単に見ておきたいと思います。

2 ナチスによるコンバージョン・セラピー


 ナチスがユダヤ人や障碍者とならんで同性愛者に対する過酷な迫害を行ったことは有名です。ナチスはブーベンバルト収容所で同性愛者に対するコンバージョン・セラピーを行いました。内分泌学者カール・ヴァーネットは、同性愛者にテストステロン(男性ホルモン)を放出するペレットを埋め込むことで治療可能だと主張し、実際に人体実験が行われたのです。この治療を行われた囚人のほとんどは、治療後、亡くなっています。

3 ロボトミー


 ロボトミーは前頭前野につながる神経を切除する手術で、ポルトガルの神経科学者エガス・モニスが開発した方法です。エガス・モニスはこの業績により1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
 アメリカでは1940年代~50年代に2万件を超えるロボトミーが行われました。神経内科医ウォルター・フリーマンは、エガス・モニスが開発した頭骨を切除して行う手術ではなく、眼窩からアイスピックを差し込んで、脳に損傷を与える手術を開発し、2500回ほどこの方法で手術を行いました。このうち最大40%が同性愛者だったといわれています。もちろん多く人が亡くなり、また植物状態になるという重篤な有害事象に見舞われました。

4 精神分析学


 精神分析学はその始祖であるフロイトも性的なイメージを分析していたことから、精神分析の手法を用いた同性愛の治療も盛んにおこなわれていました。そのうち重要な人物を取り上げたいと思います。
 まずはオーストリア出身でアメリカの精神分析家エドマンド・バーグラーです。彼は1956年に『同性愛:病気か生き方か?(Homosexuality: Disease or Way of Life?)』という本を出版し、同性愛は治療可能であると主張しました。
 本書で、彼は、同性愛者の男性は無意識のうちに女性を恐れ、憎んでおり、女性に対するこれらの否定的な態度にのみにより、男性に性的魅力を抱くようになると主張しています。同性愛者の男性は性的乱交を好み、性的なパートナーを軽蔑している。バーグラーは、同性愛者は乱交嗜好を多様な相手を求めること、および「飽くなき性的欲求」に帰するが、その実際の原因は男性同性愛者のセックスが本質的に満足しないという本性をもっていることと、男性同性愛者の「危険への絶え間ないマゾヒスティックな渇望」であると主張しています。バーグラーは、同性愛者の男性は通常、誇大妄想狂になる傾向があると書いています。
 もう一人の特筆すべき精神分析家はアーヴィング・ビーバーです。彼は1962年に『同性愛:男性同性愛者たちの精神分析的研究(Homosexuality: A Psychoanalytic Study of Male Homosexuals)』を出版し、大きな影響を与えました。ビーバーは1950年代から大規模に精神分析医からデータを集め、最初完全な同性愛者だった人の19%が完全な異性愛者になり、19%はバイセクシュアルになった、また最初バイセクシュアルだった人の50%は完全な異性愛になったと主張しました。
 彼は、1970年にサンフランシスコで行われたアメリカ精神医学会においてゲイ解放戦線(Gay Liberation Front)に抗議をされたときに矢面に立った人物です。このときからアメリカ(つまり世界)における、同性愛の脱医療化が始まりました。
 もう一人の重要な人物はチャールズ・ゾカリデスです。彼はビーバーとともにアメリカ精神医学会『精神疾患の診断・統計の手引き(DSM)』から同性愛を削除するのに抵抗しました。しかし、1973年には、DSMから同性愛が削除され、代わりに同性愛を苦痛に思い、異性愛に転換したいと望む場合には「性的指向障害」と診断されることになりました。さらに1980年に発行された、DSMⅢではこれも削除され、代わりに「自我違和性同性愛」が入り、1983年にはついに同性愛に関するすべての記述が削除されました。
 ちなみにゾカリデスは、サイモン・ルヴェイに「なぜあなたの息子は同性愛者になったのですか?」と聞かれたときに取り乱し、逆上したと、ルヴェイが証言しています。
 アメリカ精神医学会は、ジャッド・マーマーなどの同性愛を受容する立場の精神分析家、さらに同性愛者であることを明らかにしている精神分析家であるリチャード・アイゼイなどが影響力を持つようになるに至り、2019年6月21日にはアメリカ精神医学会はLGBT+コミュニティに対して、過去において同性愛やトランスセクシュアルのアイデンティティを病理化したことを謝罪しました。
 精神分析学は同性愛の治療にある程度使われていたことは確かですが、どの程度の人に効果があり、長期的に同性愛が「治癒」したのか、治療の副作用がどうだったのかという定量的な研究は少ないのが実際のところです。

5 嫌悪療法

 20世紀の心理学の潮流のうちひとつは前述の精神分析学ですが、もうひとつは学習理論です。源流は「パブロフの犬」です。犬に餌を与える前にベルの音を聞かせていたら、ベルの音だけで餌をもらえると思うようになったという有名な実験です。
 スキナーは、もし過去の行動結果が悪いものであったなら、その行動は繰り返されない確率が高く、良い結果であれば、何度も繰り返し行うと考え、「強化理論(Principles of Reinforcement)」と呼びました。
 同性愛の治療にもこの理論が応用されるようになりました。つまり同性愛者に性的な刺激(個室でエロティックな画像や映像を見せるなど)を与えて、体が反応をしたら嫌悪刺激を与えることで、嫌悪統制(加罰)を行うことで、性自認や性的志向を「治療」できるというものです。
 具体的な取り組みをいくつか紹介しておきます。
 嫌悪療法を用い、最も早い時期に行われた「治療」は、チェコ系カナダ人クルト・フロイントによるものです。彼は1950年から53年の間に、男性同性愛者67人の治療を行いました。フロイントはこの「実験」に先立ち、陰茎プレスチモグラフィーという陰茎の血流量を測定する装置を開発していました。この装置を用いて、男性のポルノグラフィに陰茎の血流量が反応した男性同性愛者に対して、アポモルヒネという嘔吐を誘発する薬剤を注射し、その後、その「患者」にテストステロンを注射して女性のポルノグラフィーを見せました。
 フロイントは、この「治療」の結果を1956年と1958年に追跡調査を行いました。その結果は1961年に発表され、男性との性行為を諦めて女性と結婚していた元患者ですら、男性のイメージで性的に興奮していることを示し、彼の嫌悪療法は成功しなかったことを示したのです。これは嫌悪療法により性的志向が転換しないことを示した初期の研究です。こちらの論文にその詳しい経緯が記されています。
 フロイントがチェコで上記の臨床実験を行っていたころ、この実験に触発されたのがオーストラリアのニール・マコナギーです。彼もフロイント同様、性的志向を転換することはできないという結論に到達しています。
 キャサリン・ミーヴ・デヴィッドソンによると、フロイントやマコナギーは、「患者」に深刻な精神的ダメージを与える可能性があると知りながら、嫌悪療法の実践者であり、それが同性愛者を救うと信じていたようです。マコナギーは、アーヴィング・ビーバーとともに、1970年のアメリカ精神分析学会で、ゲイ解放戦線による暴動にあった人物です。
 このようなチェコにおける経緯はこちらの論文に詳しく書いてあります。
 このあと1960年代~70年代に、嫌悪療法はとくに英米圏おこなわれるようになります。英国では、1966年から1983年の間に大学の心理学部で働いていたモーリス・フェルドマン博士、1967年から1971年まで小児科および小児保健部門で働いていたマルコム・マカロック博士が率いて研究が行われたことを確認されています。バーミンガム大学のレポートによると「治療を提供するために使用された2組の装置の証拠もありました。これには、椅子とスクリーン、スライドとプロジェクター、および研究者が被験者の体に取り付けられたバンドを介して電気ショックを与えることができるリードが含まれていました」とのことで、嫌悪刺激として電気ショック等が「患者」に与えられていたことが明らかになっています。この間、何人の「患者」が治療を受けたのか明らかではありません。
 バーミンガム大学は、このような歴史を重く見てレポートを発出しています。研究プログラムを率いたMo Moulton博士は、「性的指向や性自認を変えることを目的とした活動に対する道徳的または倫理的なサポートはなく、これらの慣行を裏付ける科学的証拠もありません」とレポートに記しています。

6 まとめ


 以上にまとめたように、心理学や精神医学の正統なバックグランドをもつ医師や心理学者による同性愛や性自認のコンバージョンへの試みは、どれもうまくいっていません。もちろん宗教的信念や単なる興味でなんらかの成果を得ることは難しいものと思われます。むしろ歴史は、コンバージョン・セラピーのサバイバーは精神的な問題を抱える頻度が高いことを示しています。現状では、主要国では、コンバージョン・セラピーは非人道的だとの見方が優勢になっているのです。







 
 

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