産まない選択、38歳の葛藤
不惑の40歳を迎えたいま思い返すと、わたしが「超惑」していたのは38歳だった。
このまま子どもをもたない人生を選んで、本当にいいのか。
あのころは、毎日のように自問していた。自問したところで答えは出ないので、自分と同じDINKsの人たちとSNSでつながってみたり、子どもをもつか迷っていたけれどもたない選択をした人の手記がないかネットをあさったりしながら、なんとか答えにたどり着こうともがいていた。
わたしが求めていたのは、「子どもをもたない人生を選んで後悔してないし最高にハッピー」という生の声。わたしより一歩先を歩んでいる先輩に、背中を押してほしかった。
その時点でもう答えは出ているんだけどね。本当はどうしたいと思っているのか。でも、なかなか決断できなかった。半年くらいは「超惑」していた気がする。
出産リミットと、いつまで経っても湧かない「子どもがほしい」気持ち
結婚後、いっこうに母になる気配のないわたしに、友人たちは気をつかいながら聞いた。「子どもは?」と。
「う~ん、あんまり考えてない」と答えると、「なんで?」。この「なんで?」に非難や軽蔑の色は含まれておらず、純粋な興味だったと思うのだが、わたしはいつも返答に窮した。自分でもよくわからなかったからだ。
はて、なんでだろう???
なんでわたしは、子どもをもつという選択肢が頭にないんだろう?
正確にいえば、まったく頭になかったわけではない。まわりが少しずつ結婚・出産し始めた20代のころは、「母がわたしを産んだのが33歳だから、わたしもそれくらいには母になるのかな?」となんとな~く思っていた憶えがある。でもそれは人生設計でもなんでもなかった。「それなりの年齢になれば、子どもを育てたいという気持ちも自然と湧いてくるんだろう」という、ひとごとみたいな想像に過ぎなかった。
子ども心に「お嫁さん」や「お母さん」を夢見たことのある人はけっこういるんじゃないかと思う。わたしも幼稚園児のころは「となりのお兄ちゃんのお嫁さんになる」とかわいいことを言っていたらしいが、自我が芽生えてからというもの、「お嫁さん」や「お母さん」を夢見た記憶がない。否定的な感情があったわけではまったくなく、ただ、「お嫁さん」や「お母さん」という人生プランの存在に気づかなかった。
それよりも自分の好きなことに夢中で、小学生のときはイラストレーターになりたかったし、高校生のときは小説家に憧れた。そしてその意欲は衰えないまま大人になり、現実の自分の力量との折り合いをつけながら、いまは文章とデザインの仕事についている。
会社員をやめて独立してからは、ますます仕事に夢中になった。というとワーカホリックに聞こえるけれど、そういうことではない。仕事も趣味と同列のあつかいで、人生を豊かにしてくれる大切なもののひとつという感じだ。
そんな背景もあって、30代に突入してからも相変わらず好きなことに夢中。好きなことを仕事にして、時間もお金も自由に使って人生を楽しんでいる現在の自分を、わたしは絶対に手放したくなかった。
キャリーオーバーし続けた「そのうち子どもがほしくなるだろう」という予想は、結局いつまで経っても現実にならないまま、気づけば出産リミットだけが刻一刻と近づいている……。その無情なカウントダウン感にもっとも苦しまされたのが、38歳のあの時期だったのだろう。
なぜ、子どもをもたない選択に理由が必要なのか
「好き」「きらい」「無関心」というマザー・テレサ的な3指標に倣うならば、「子どもがほしい」「ほしくない」「無関心」のうち、わたしの感情は「無関心」に限りなく近かった。
だから、出産リミットが近づいていることを自覚したとき、「ほしいのか、ほしくないのか」を探るところから始める必要があった。
「無関心=ほしくない」のような気もする。でも、そこは「無関心=きらい」ではないのと同じ理屈で、わたしは「ほしい」と具体的に思ったことがないのと同じくらい、「ほしくない」と具体的に思ったこともなかったのだった。
わたしがSNSでつながっているDINKsさんの多くは、子どもをもたない人生を自ら選択した「選択子なし」の人なのだが、その理由を言語化できている人はけっこう多い。自身が育った家庭環境などに起因して、子育てをすることや遺伝子を残すことに前向きではない人。子どもが好きではない人。仕事や趣味に打ち込みたい人。「選択子なし」専用のSNSアカウントを設けるくらいだから、子どもをもたないことについて強い意志をもっている、あるいは熟慮してきた人たちなのだろう。どの思いも尊重されて然るべきだと思う。
わたしはといえば、真剣に考え始めたのはつい最近で、強い意志も理由も有していない。強いていえば「仕事や趣味に打ち込みたい」かもしれないが、それは無関心から脱するための後づけのような気もする。それなのに「選択子なし」の道を進もうとしている自分が浅はかに感じられた。
そう感じてはじめて思い知ったのだ。ああ、やっぱりわたしも、心の奥底では「女性は母になるもの」だと思っていたんだな……と。
だって本来なら、自分の人生の選択に強い意志や理由など必ずしもなくたっていいはず。「なんとなく母にならない」という選択があってもいいではないか。自分のなかにそんなアンコンシャス・バイアスが潜んでいたとは、ショックだった。
特別子ども好きではないけれど、友人の子や街で見かけるキッズを見て「かわいい」と思う。自分たちの子どもならその何億倍もかわいいだろうし、その愛くるしさを感じてみたいとも思う。夫がどんな父になるか見てみたい。子育ての楽しさや苦労を経験してみたい。
考えてみれば、「子どもがほしい」理由は意外と思いつく。「子どもをもつ」という選択を前向きに考えてみようとした時期もある。
ただ、わたしは心のなかの違和感を見逃せなかった。これらは「子どもがほしい」理由というより、「子どもをもたない選択に躊躇する」理由。もし、子どもをもたない選択をして後悔した場合、胸に湧きあがるんじゃないかと想像しうる理由。すべては「ほしくない」という本心の上に成り立っているといえるのではないか。
そしてなにより、気づいてしまった。「子どもをもたない選択に躊躇する」最大の理由に。
わたしはマイノリティになることを恐れている。心の奥底で「女性は母になるもの」だと思っていたからこそ、世間一般も同じ価値観だと思うからこそ、そこから外れた人生を選ぶ恐怖がわたしを躊躇させている。
子どものいない人たちとのつながりを求めたのは、まさにそのせい。わたしは仲間を見つけて安心したかったのだ。
「超惑」の日々を乗り越えた先に
39歳になるころには、ぐるぐる自問していた日々が幻だったみたいに迷いがなくなった。
そのきっかけとなった瞬間をいまでも憶えている。BIGLOBEが発表した「子育てに関するZ世代の意識調査」で、「将来、子どもがほしくない」と回答した人が45.7%という結果を目にしたときだ。
18~25歳を対象にした調査だから、将来をまだ明確にイメージできていない人も多いと思う。いずれ気が変わる人もいるだろう。45.7%の回答者全員が本当に子どもをもたないとは当然思っていない。
でも、そのときわたしは、はたと思った。子どものいない人がマイノリティでなくなる時代が、そう遠くない未来にきっと来るのだろう、と。
50歳時点で子どもがいない女性の割合を「生涯無子率」と呼ぶそうだが、2024年に49歳を迎えた女性の未出産比率は28.3%らしい。3~4人にひとりの女性が子どもをもたないと考えると、すでにマイノリティでもない事実に気づかされる。たしかに、まわりの友人を広範囲で見れば子もちが多いが、とくに身近な友人を思い浮かべるとそうでもない。故郷の母も「孫のいない友だちのほうが多い」と言っている。
日本の少子化問題を考えれば由々しき事態で、「本当は子どもがほしいけれどもてない」という人たちの障壁をとりのぞくことは重要だろう。だからといって、自主的に「ほしくない」と思う人の意志を曲げる権利は誰にもない。そういう人たちが世間を気にせず人生を選択できるようになる、そんな未来が現実味を帯びた瞬間だった。
わたしはマイノリティにはならない。たとえなったとしても、それがなんだというんだろう。わたしは幸せの定義を自分で決められる。自身や世間のアンコンシャス・バイアスにとらわれ、マジョリティとして生きる安心感を手に入れるために本心から目をそらそうとしているのなら、そんな人生をわたしは望まない。
自分のなかの迷いに決着がつき、もちろん夫とも話し合い、わたしたちは夫婦ふたりで生きていく選択をした。
今後、子どもがほしくなることが絶対にないとはいえない。「子どもがいたらどうなっていたのかな」と想像することもたまにある。ただ、人生の選択とは得てしてそういうものだろう。白黒つけずグレーのままでいたい、でもグレーのままではいられない事柄については、なんとか自分のなかで白か黒か折り合いをつけて前に進むのだ。
自ら納得して選択した道なら後悔することはない。これまでの人生を振り返って、わたしはそう確信している。
少子化解消に貢献できなくてごめんなさい。
でも、迷いがなくなったいまの人生は、以前にも増して最高にハッピーだ。
子どもをもつ人生も、もたない人生も、まったく同じように尊いはずである。自分の幸せな未来のために、誰もが望む道を選択できる社会になりますように。