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エステ家が繁栄したルネッサンス期の古都・フェラーラへ!
<イタリア旅行記(2016年北イタリア)No.54>
ボローニャ(Bologna)から、列車に乗って、30分程。
中世の古都・フェラーラ(Ferrara)を訪れました。
14世紀頃から、エステ家(Casa d'Este)が街を治めて、ルネッサンス期に繫栄した街。
列車の駅から、大通りを真っすぐ進み、1㎞程で街の中心・旧市街に到着です。
ぽんっ!っと、最初に、目に入ってきたのが、こちら。
エステ家が住んでいた居城です。
![](https://assets.st-note.com/img/1646378939366-IUD3PDX7B0.jpg?width=800)
エステンセ城(Castello Estense di Ferrara)
城の周りを、お堀でぐるりと囲まれていて、イタリアの居城としては、
少し珍しい造り。
城内を見学したかったのですが、やはり、ここもクリスマス休暇。
閉まっていました。
クリスマス前後の、今回の旅。
クローズしている場所も多いと覚悟をしていましたが、行くところ、行くところ、本当に、クローズ、休暇中が多くて。
やむを得なしと、理解しつつも、がっくりと気落ちし、その度に、旅の疲れも、
少しずつ溜まっていきました。
ここも、仕方がない、仕方がない…と。
そのエステンセ城の前に立っていたのが、先日、お伝えしたジロラモ・サヴォナローラ像です。
![](https://assets.st-note.com/img/1646382399189-mdLZzLeAkW.jpg?width=800)
ジロラモ・サヴォナローラ
(Girolamo Savonarola)
「サヴォナローラ」と聞くと、フィレンツェ(Firenze)で、布教活動をし、
宗教改革・神権政治を進め、当時の支配者達の贅沢な生活に対し、
過激な批判を続けたことで、市民からは狂信的な支持を受ける一方で、
敵も多くなり、最後は、フィレンツェのシニョリーア広場で非業な死を遂げた。
常に「フィレンツェで」というイメージがあったので、ここフェラーラで
サヴォナローラの像があるとは思っていませんでした。
そうだ、この街の出身でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1646379199833-nVlnEECARV.jpg?width=800)
ポルタ・レノ大通り(Corso Porta Reno)
右手にあるのが、フェラーラ市役所の塔(Torre di Comune di Ferrara)、
奥にあるのが、時計台(Torre dell'Orologio)。
高くはないですが、塔が多い街だなという印象もありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1646379220654-dzqOQhEvWD.jpg?width=800)
サン・ジョルジョ大聖堂(Catedralle di Ferrara)
この大聖堂も見学したかったのですが、クローズ。
美しいロマネスク彫刻で有名なファザード(表玄関)。
ここさえも修復中で、工事幕が張られていて…。
外観も、見れないのか…と、天を仰ぐ私。
段々、足取りも重くなり、記録写真を撮る事さえも辛くなってきました。
もう、帰ろうかな。
でも、チェックしていたレストランで、昼食をとりたいし、どうしようかと考えながら、大聖堂の南側を回ると、なんと!クリスマス・マーケットが開かれていました!
![](https://assets.st-note.com/img/1646382419183-naMyH2EDfw.jpg?width=800)
トレント・トリエステ広場
(Piazza Trento-Trieste)
うん、そうそう!
クリスマス週間なのだから、こうでなくては、いけません。
少し足取りが軽くなり、マーケットに向かいました。
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