日本に安楽死は相応しいだろうか

今の日本に、どれだけ想像力発揮して理解する人がいるんだろう?

「何人も、例え家族であっても、絶対に立ち入ってはならない個人の価値観、自由意思がある。という峻厳な個人の尊重が広く社会に受容されることが必要条件」

この意味って、ある家族がその誰かの個人を尊重してるっていうだけでなく、そういう家族が社会にとって当然でしょ?って社会全体が考えているって意味なんだよな。

日本の多くの人は、親は子に責任を、子は親に責任を、家族はその身内に特別な責任があると考えてる。先日の元事務次官がニート息子を殺害した事件もその典型だし、そのニュースの反応にあった「よくやった」って言うコメントも、家族には責任があるって考えるのがふつうの社会ってことなんだ。

社会がそうである限り、個人の尊重とはいえ迷惑をかけるようなことをする人はその周囲の人がどうにか気付いてやって迷惑をかけないようにしてやらなくちゃおかしいよ。ってメッセージを社会が抱えていくってことで、それが社会のバランスになってる。

その中では、尊厳死とは、個人のものだけではなくて、個人を含むその周囲の人のものになる。そうなると、究極の個人の同意とは、周囲の人の思いを汲み取ってやることも当然の考えになってくるので、自分が自分の理由だけで死にたいと考えるだけでなく自分は死んだ方がいいというのも死にたい理由として正しいっていうことになってしまう。

でも、それは安楽死のための尊厳死ではない。

誰もが自分の価値観と自由意思をもって生も死も選ぶのが社会なんだと思い知れ渡った後でないと、自分が死んだ方がいいという選択は自由意思にはならないしそれは尊厳死というよりも忖度死とでもいうことだろう。



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