見出し画像

ヨコギアラオが18才~26才のプロになる前に撮った写真集。「あの日の彼 あの日の彼女」 fable me fable u1967-1975 ALAO YOKOGI 電子版

あの日の彼 あの日の彼女1967-1975 
写真を始めたのは小学校3年の終わり、3月の誕生日の数日前だった。カメラはプラスチックでできたスタートカメラ。当時の子供用のカメラだ。翌年フジペットを買ってもらった。小学校を卒業するころには、飽きていた。フィルム代が高くたくさん撮れなかったからだ。その頃の写真はアルバムに残っている。次のカメラは中学の修学旅行のために買った、当時流行のハーフサイズオリンパスペンSだ。Fがカッコイイと思ったが、それは夢のカメラだった。
高校ではブラスバンド部にはいり、フルートを選び、3年間音楽づけだった。音楽関係に行くことが夢だったが、すぐに無理だと知り、それでもジャーナリズムや芸術方面に行こうと思った。
父親が新聞記者だったので、報道カメラマンにでもなるつもりだった。
そこ頃知っている写真家は、土門拳とロバート・キャパだけだった。
カメラ雑誌は一度もみたことがなかった。

↑写真をクリックしてください。amazonに飛びます。

↑Kindle 写真集¥1000  unlimitedの方は無料です。

日芸の入るとき、買ったカメラはアサヒペンタックスSPだった。テレビCMで「ペンタックス、ペンタックス」と刷り込まれていたので、そのなかの最新の最高級機がSPだった。
入学しクラスで皆が持っているカメラは、ニコンFだった。そんなカメラ知らなかった。ファインダーを覗いたら違う世界が存在していた。ただ僕の最初の写真の先生、フォトポエム研究会という写真のクラブで同級、彼は中学の頃から写真を撮っている、高木松寿が、僕より下のクラスのペンタックスSVを使っていたので、彼は僕があった最初の天才カメラマンなので、写真はカメラじゃなく腕だとしった。僕は彼の写真に影響された。光と影の使い方が断然うまかった。僕は報道写真家になることを忘れた。
なにしろ若い写真家が次々とデビューした時代だ。篠山紀信、沢渡朔、立木義弘、高梨豊、大倉瞬二、奈良原一高、深瀬昌久、森山大道まだまだたくさんいる。
カメラ毎日に載るカメラマンがスターだった。
そしてウイリアムクライン、ロバート・フランクに出会う。
特にロバートフランクにやられた。
僕はテーマ主義ではなく、撮る意味を探る写真に惹かれた。

僕の、この写真集の最初ページは外国のようだけれど、日本の風景だ。横田基地のある福生。
ベトナム戦争真っ最中の福生は、基地のフェンスの外に多くの米軍ハウスがあった。日本の街のなかに突然外国のような住宅地が広がっている。今見ると質素だけれど、60年代後半、広々とした敷地に点在するハウスがリッチに見えた。いや、中を覗けばそれはまぎれもなく、豊なアメリカだった。巨大な冷蔵庫や洒落た家具。子供部屋にはおもちゃがあふれていた。
僕は時折福生を訪れた。そのたびに町はひっそりとしてきた。ベトナム戦争が終わりに近づいていた。
1968年、大学では学園紛争があり、僕もバリケードを築き、籠城して、街頭カンパを募った。バリケードの中の写真は撮らなかった。
バリケードから出て、写真を撮り始めた。
僕はデモの写真を撮った。
卒業したが就職は決まらなかった。就職する気がなかったのだ。
それより、写真家のアシスタントになることに決めていた。
幾人かを紹介してもらったが、タイミングが合わなかった。

その頃、カメラ毎日の伝説の編集者、山岸章二氏に会う。
当時評判だったアルバムというページに応募するためだった。運よく彼がいて写真を直接見てくれることになった。30点ほどの8x10のモノクロプリントを、数分で見てくれた。そして、山岸は、「いいね」と言った。
僕は天にも昇るといった興奮状態になった。なにしろ写真界の天皇と呼ばれる山岸にほめられたのだ。
「では、掲載してもらえるのですね」というと。
「いや、それは分からなと、編集会議にかけないと」
僕は、興奮状態からまっさかさま。
こころなかで、「さっきいいね」と言ったのはどういう意味だったのだろうか?僕がその時、どういう態度をとったのかはわからないが、ふてくされたのかもしれない。すると山岸は僕の肩に腕を回し、
「まあ、いろいろあるんだよ」といって、
翌月号の小原健の特集したゲラを僕に渡し、どこかにいってしまった。
その後、僕の写真は1972年2月号の、アルバム72に初めて掲載される。
僕の写真家としてのデビューだった。

ただ僕は、山岸さんと会った直後ぐらいに、篠山紀信さんとチャンスがあり面接を受けた。
僕の写真を見て篠山さんは、「コンポラ写真だね」と笑った。
篠山さんには二人助手がいて、今仕事を減らそうと思っているという。
だから次の募集がいつになるかわからないという。
2年でも3年でも待つ覚悟があるのなら入れてくれると言った。
正直僕は有頂天だった。
カメラ毎日のこともあるが、僕は自分の写真に目覚めていた。
写真を撮る時間が2年もある。

ところがその年の暮れ、篠山事務所のマネージャー中尾さんから電話があった。来年正月早々から来るようにとのことだった。
僕は驚いた。たった数か月後のことだったからだ。でも篠山紀信の助手になれることはその何倍も意味があることだった。

突然の事情は、後に開高健の「オーパ」を撮った、高橋昇が、休暇中、お兄さんのマツダロータリークーペで事故を起こし、全治半年ということで急遽必要になったからだ。
事務所には宮城谷さんがひとり助手で寝る時間もなく緊急事態だった。その時、篠山さんは雑誌太陽の「大相撲」特集を撮っていた。毎日国技館に通い、宮城谷さんはフィルム現像、ベタ焼きまで撮り、篠山さんが何枚もセレクトし、それを翌日中にプリントする。当然夕方から撮影にも行く。宮城谷さんは寝る時間もないパニック状態だった。
入ったばかりの僕は、フィルムの水洗と乾燥、ドラム乾燥機による乾燥。
それまでのんびり暮らしていた僕は、寝る間も惜しんで仕事をするなんてことは、初めての経験だった。
大相撲の特集が終わると少し落ち着き、それでも雑誌の表紙など忙しかったが、海外ロケになった。アサヒカメラの「ハイマリー」の頃か?
僕は残ることになり、いくつか宿題があったが、ひまになった。僕は写真を撮ることに飢えていた。それまで忙しく写真を撮るなんてことはなかったが、約2週間、自分の写真を撮っていた。

太陽の大相撲特集でてんてこ舞いの時に、「カメラ毎日」アルバムに僕の写真が掲載された。その頃、篠山事務所と沢渡さんは、六本木スタジオの3階の同じフロアに事務所を構えていた。暗室、助手作業部屋は共有だ。
沢渡さんの仕事は、撮影以外全部見えることになる。その時、沢渡さんのアシスタントは3人、当然上下関係がある。掃除からなにまで、5人のなかで僕が一番下っ端だ。
だからカメラ毎日に掲載されたときは、誰もそのことに触れることはなかった。篠山さんも何もいわなかった。僕はちょっと気まづい思いがあった。
その後、1974年のアサヒカメラ2月号で、「Party」というタイトルでモノクロ4page掲載されました。

僕は、アシスタントは2年でやめるつもりだった。2年で知りたいことはわかる。
オイルショックで先輩の事情があって伸び、セカンドだった宮口君が、外国人の奥さんが妊娠して、主夫をするため突然やめてしまい、独立するのが1年伸びることになってしまった。そのため24才でフリーになるつもりが、26歳になっていた。
焦っていたかもしれない。今だったら26才なんて若造だけれど、あの時代皆もっと早く独立していた。
3年8ケ月篠山さんのアシスタントをして、1975年9月にフリーになった時、自分が何をしていいのか、ある意味、あらゆる写真の世界を見てしまっために、自分を見失った。

写真集「あの日の彼 あの日の彼女」1967-1975 は、そんな僕のプロフェッショナル写真家以前の、生身の記録であります。

写真集 あの日の彼 あの日の彼女 1967-1975 fable me fable u Japan BY ALAO YOKOGI 
このバージョンは、日本語と英語翻訳なされています。
作家 角田光代氏の、超短編小説も英訳されています。
Photographs: That day he, that day she 1967-1975 fable me fable u Japan BY ALAO YOKOGI 
This version has been translated into Japanese and English.
A very short novel by Mitsuyo Kakuta has also been translated into English.

これらの写真は、横木が日大芸術学部写真学科に入学した1967年18歳から
アシスタント経てフリーになった1975年26歳までの個人的な写真による記録です。
These photographs are a record of Yokogi's personal life from the age of 18 in 1967, when he entered the Department of Photography at Nihon University College of Art
He became a freelance photographer in 1975, at the age of 26, after working as an assistant.

時代は世界中でスチューデントパワーが吹き荒れ、神田カルチェラタン、10.21新宿騒乱、東大安田講堂などが写っています。
最初のページは、東京、横田基地のある福生での撮影です。
僕が生まれ育った千葉県市川市の風景、房総、湘南、神奈川、静岡、軽井沢、新宿、江古田、原宿、青山、銀座など当時僕が動き回った場所が多く撮影されています。これらの写真は目的はなく、僕が身の回りから惹かれたもの、そして友人たちを撮っています。
The era was one of Student Power blowing around the world, and the pictures include Kanda Carceratan, the 10.21 Shinjuku riots, and the University of Tokyo's Yasuda Auditorium.
The first page was taken in Fussa, Tokyo, where Yokota Air Base is located.
The first page shows the scenery of Ichikawa City, Chiba Prefecture, where I was born and raised, Boso, Shonan, Kanagawa, Shizuoka, Karuizawa, Shinjuku, Ekoda, Harajuku, Aoyama, Ginza, and many other places where I moved around at the time. These photographs have no purpose; they are of the things I was drawn to and the friends I made around me.

僕は何も見ていなかった。だからこれは僕の見た、あの日の記録なんかじゃない。これは僕が吸った空気、あの日の一日、若く生きた気分の記録。あの頃がよかったなんて、懐かしんでいるんじゃない。誰にでも一度はある若い時代、世界と遭遇して、感じ、掠めとった寓話。昭和42年の春の一日から始まった18歳、そして26歳まで、僕は夢中になってシャッターを切った。
I didn't see anything. So this is not a record of what I saw that day. This is a record of the air I breathed, of that day, of how it felt to be young. I am not reminiscing about how good those days were. It is an allegory of the young age that everyone has at one time or another, of encountering the world, feeling it, and snatching it away. Starting with a day in the spring of 1967, I was 18 years old, and then 26, and I was so absorbed that I snapped the shutter.

後半、オリジナル写真集とでは小説家の角田光代さんに、短い小説「あの日の彼 あの日の彼女」を書いてもらっています。デジタル版も許可を得て再録しています。角田さんはこの写真集のはじまる1967年に誕生しています。この写真の時代に同じ空気をすっていたことから、当初は推薦文を書いてもらうつもりでしたが、あったとたん小説を書いてくださいとお願いしてしまいました。

オリジナルの写真集では、データとして場所と年号だけを記録しましたが、電子版写真集はいちまいいちまいにキャプションが日本語、英語で書かれています。

モノクロ 349p 写真323点

若かりし横木は単に昭和の日本をドキュメントしたのではありま
せん。アメリカ文化の影響を受けた若者が、"カッコいい"と感じるシーンを内側から撮影しているのです。当時の日本写真は、社会のアウトサイダーの写真家が時代をえぐり出すようなドキュメントが中心でした。横木の写真は社会のインサイダーだった若者による時代のインサイダーの写真なのです。それゆえ、多くの人が共通の夢を描けた60年‾70年代日本の気分と雰囲気が色濃く映しこまれています。横木がまだプロデビュー前であり、自分の感覚に忠実でピュアーな視点を持っていたからこそ、これらの奇跡のような素晴らしい写真が撮影できたのでしょう。
写真にしみ込んだ時代の匂いは、価値観が多様化し生き方に思い悩む現代人に懐かしい気持ちを呼び起こさせます。そして時代の価値観が多様化した21世紀のいま、私たちは皆が共通の夢を持てた時代のイメージに対して強烈に魅了されます。30年以上前のイメージはいま見ても古さを感じません。若者にとって、"カッコいい"ことは時代を超越するのです。戦後生まれの人は誰でも、自分の過去とコミュニケーションできる1枚の写真イメージ を横木の写真集の中から発見できるでしょう。特に団塊世代にとって、カッコよさを追求していたころの青春グラフィティーそのものです。写真がきっかけで見る人それぞれの青春ストーリーが蘇ることでしょう。 BLITZ INTERNATIONAL アート・フォト・サイト東京 ギャラリスト 福川芳郎

⇩オリジナルの写真集です。¥8000

P6  1967年横田基地正面ゲート 

ここから先は

0字
この「ぼくのアサヒカメラ 」を一度購入すると、最低月2本のアサヒカメラ にまつわる記事が読めます。単体の記事よりお得になると思います。

2020年新型コロナ渦中突然休刊したカメラ雑誌アサヒカメラ。90数年の歴史のなか、僕が最初にかかわったのが1972年。それから断続的に口絵…

もしよろしければ  応援サポートお願いします。