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サイゴンの昼下がり 彼女を通りで見かけた時、僕はヴェトナムの虜になっていた。 

1994年10月
ベトナム、H・C・M・C(ホーチミン市・旧サイゴン市)の中心部。
サイゴン地区、コンチネンタルホテル裏、湿度の飽和したレタイントン通りを、颯爽と横断するアオザイ姿の女性。
カメラには200ミリの望遠レンズがついていた。僕は彼女の後ろ姿をファインダーを通して追った。すると彼女は路地を曲がる。僕は追いかけ、コーナーに立ち、通りを見まわす。忽然と、まるで白日夢だったかのように彼女は消えていた。僕が初めてサイゴンを訪れた時だった。
日本に帰りそのフィルムを現像する。そこには肉眼で見た印象そのままの一コマが、まるで演出したかように写っていた。
翌年、二回目にサイゴンを訪れた時、この写真を持って、サイゴンで働く女優や、歌手、モデルに見せたが、誰も知らないし見たこともないという。
彼女は、僕がヴェトナムで出会った一番印象的なアオザイの女性だった。ただこのアオザイは、生地や柄や形が、普通のアオザイをかなりアレンジしているという。いったいどんな生活を送っている女性だろうか。僕は彼女の日常を想像した。そして彼女を探す旅を始めた。
Canon EOS 5 EF 200mmF2.8 ベルビア+1増感現像 LBA2フィルター

1999年 新潮社刊

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書籍 古書 サイゴンの昼下がり

デジタル版⇩


ANA広告B0ポスター 東京ーホーチミン線就航 2001年 DENTSU AD 石岡玲子

2001年、僕が撮影した「サイゴンの昼下がり」の表紙のアオザイの写真を広告に使いたいと電通から連絡があった。ANA全日空が、3月からVIETNAM、ホーチミンと成田を結ぶANAの告知ポスターだ。
オリジナルは35mm縦位置の写真だ。それを印刷で左右に伸ばしている。オリジナルの、白日夢のような表現をさらに増幅させている。僕はずっと広告にかかわってきたので、写真を改変すること抵抗はない。別作品だと認識している。
オリジナルの写真とポスターの表現の違いがでていて興味深い。東京中にこのB0ポスターは張られた。
ARTDIRECTOR/RYOKO ISHIOKA   DENTSU

小説 熱を食む、裸の果実 講談社 あれから何度もベトナムを訪れ、あのアオザイの女性を探し回ったが、結局見つからなかった。サイゴンの昼下がりで文章を本格的書くようになった。アオザイの女性は、だれなのか想像しているうちに、妄想になり小説まで書いてしまった。最初は角川からでることになっていたが、紆余曲折があり講談社から2003年6月出版された。当時のベトナムのかおりがむんむんしていると思う。今思うとタイトルを「ドラゴンフルーツ」にすればよかったと思った。表紙を早川タケジに描いてもらったが、たくさある中からこれを選んだ。もっと明るい軽いタッチの絵もあった。

沢木耕太郎 「一号線を北上せよ」
前略 以下引用
 近藤さんの文章を読みながら、自分も行ってみたかったな、と何度思ったろう。しかしそこに描かれてたサイゴンはもはや存在せず、ホーチミンと名を変えてしまっていた。
 それでも、しばらくするうちに、ホーチミンと名を変えたサイゴンでもいいから行ってみようかと、思うようになった。その思いは、一枚の写真を見ることで、さらに強くなった。
 カメラマンの横木安良夫が「サイゴンの昼下がり」という本を出した。その表紙を本屋の店頭で見たとき、強く目を牽きつけられた。そこには、ひとりの若い女性が、純白のアオザイを着て、路上を歩いているという写真が載っていたのだ。白いアオザイは、まるで雨にぬれたかのようにぴったりと体に張りついているため、彼女の美しい体の線をくっきりと浮き立たせている。しかも微かに透き通っているため下着のラインが見え、それが清楚なエロティズムを醸して出していた。もちろんホーチミンに行けばそんな女性がいっぱいいると思ったわけじゃないが、行ってみたいと言う思いは募った。
後略


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