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浅間山のふもと!「カルメン故郷に帰る」デジタルリマスター版 1951年 昭和26年、監督木下惠介 主演 高峰秀子

松竹のサブスクや、amazon など、それぞれ微妙に発色が違う。
僕の見たUNEXTの定額の画面が一番きれいだったかな。
どれにしても、かつての画像より各段に綺麗だった。もっとも4Kテレビは、自分で色調などをかなり自由にコントロールできるので、色については個人の問題かな。

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日本最初の国産総天然色カラー映画 松竹大船撮影所制作
ロケ地 北軽井沢 監督 木下惠介 主演 高峰秀子
終戦後、アメリカ映画「ステート・フェア」45ソ連映画「石の花」46そして何より39年制作52年公開の「風と共に去りぬ」などに触発され、独自の国産カラーフィルムの開発が富士写真フイルムで計画された。すでにアグファとテクニカラーがすにで実用化されていたが、フジは独自の、「リバーサル、外色発光」を採用した。モノクロと違い、肌の発色が難しく、メイキャップも経験のあるマックスファクターと協力したという。

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ただ、フィルムは完成したものの、その性能に自信はなく、モノクロとカラー両方を撮り、もし問題があれば、カラーで撮ったことはなかったことにするといった契約もあったそうだ。完成品は緑の発色に難があったものの、総天然色映画は大ヒットした。
デジタルリマスター版は、発色もよく(当然だけれど)オリジナルよりずっと見やすくなっているようだ。実際フィルムの発色だけではなく、当時の劇場の映写機の光度は低く難点があったので、地方ではモノクロ版が放映されたという。
僕は、この映画を見た最初は当然レンタルのVHSビデオテープ。画質が悪く、筋も凡庸で面白いとは思わなかった。まあ、SD以下のぼやぼやのカラー映画ほど見にくいものはないから当然だろう。だから記憶に残っていなかった。
それがデジタルリマスターが見られるようになり、国産最初のカラー映画を見直すことにした。
それは別物の映画だった。しかもきっとオリジナルよりずっと発色のよい映画なので、浅間山を望む前景描写が克明に描かれているからこそ、凡庸ではなく、チャレンジングなのんびりした映画(今の時代から見ると)になっているの楽しく、最後まで一気に見れた。

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高峰秀子は、僕の子供時代、トップ女優だった。映画やドラマはいくつかみている。といってもビデオか、テレビだ。プロになって多くの大女優たちを撮ったが、高峰美恵子は撮ったが彼女は撮っていない。それにしても、貧
しいこの時代、こんなスットンキョウな映画、びっくりしたに違いない。この良さはカラーが必然だったのだろう。映像で見せることに主眼が置かれている。映画の脚本は、8割というが、現代の映画やドラマは、映像言語、映像表現がかつてより重視されていると思う。この映画は、リマスターで生まれ変わったのでなく、新たに生まれた感じがした。
デジタルリマスターの東京物語を見た時、小津はこんな綺麗な画質で見たのだろうか、考えさせられた。僕が見た名画座の東京物語は、雨が凄まじく風流だったが、美しいとは思わなかった。シャドウの階調も豊かで、別物の東京物語になっていた。これこそがオリジナルだったのだろうか。

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富士写真フイルム⇩カルメン故郷に帰る 

 
 
日本の最初のカラー映画は、海外の二色式フィルムを使用した
「千人針」1937年 

実は、4Kの画面をIphoneで複写。映画はスクリーンショットにガードがかかっているけど、iphone画質程度なら、全く問題なく撮れる。HD画面はもわれがでるが、4K画面は普通に複写できる。

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