見出し画像

Chat-GPTに考えて写真について考えてもらおうと思う。まずはタイトル、その写真の意味?

「澁谷遊戯」

Shibuya tokyo japan 2005

2005年渋谷ガード近くで撮った、特別テーマ性のないストリートスナップ。
基本的に僕は一枚の写真にタイトルはつけることはなかった。
集合した写真にはテーマとしてつけるのが、通常は、写真のタイトル撮影場所と年号ぐらいだ。

ただ写真コンテストなどの場合は、たいていタイトルは求められる。
そういう理由で、写真のタイトルやキャプションは皆がどう考えているのか知りたくなった。
論ではなく、もちろん論もありだけれど、具体的に、僕の写真のタイトルをつけてもらうことにした。よろしくお願いします。メインは、Facebookですが、instagramでもやってます。

Facebookで、木野田 和也さんがつけてくれたのが、
「澁谷遊戯」
このタイトル、なんだか響く。

Facebookでのタイトル
「STOP!」
「夏の終わり」
「夫婦」
「援助交際」
「新大人のパンパース、赤ちゃんのような肌触り。」
「たなごころ」
「こゆび」
「and then]
「澁谷遊戯」
「小悪魔Dance」
「また。あとで」
「10㎠のぬくもり」

ChatGPTにも、考えてもらいました。


もっとも、画像そのものを評論することはできないので、この写真のエッセンスを言語化したものを、論じてもらい、タイトルを考えてもらってます。

言語化するにあたり、表現力のありなし、は大きく関係しているので、ある意味、答えを誘導することはできるでしょう。まあ、つたない僕の、写真の表層の語りは、写真を評論する時の常套で、でもそれをGPTがどのように、表現するか、ちょっと面白いのでUPします。この写真の言語化したものも、恥ずかしながら添えます。
これをプロンプトと考え、写真化したらどんな絵になるか、多分その絵をGTPは言語化しているのかなとも思います。

2005年に渋谷でスナップした写真です。全体的にブルーグレーな柔らかなイメージ、若い男と女がビルの入り口のコンクリートの上、平らな部分に座っている。斜め後ろから撮っている。肩から上にはフレーミングされ見えていない。左側の女性は足を組み、左腕はクロスした右足につき、胸元に寄せている。煙草を持つ右手はだらりと伸ばされている。脱色したジーンズ。おしゃれな白いTシャツ。膝の上には抱えるように濃いブルーの袋。女性の腰を抱くように男が隣に座っている。アディダスのゆったりとしたTシャツ。白い手。全体的にはグレーの中に、服の淡いブルーの模様が際立っている。構図は左に寄っている。背景はシンプル。そこに、男性のしろい左手が、Tシャツの腰からはみ出た女性の腰とお尻の境目を触っている。男の人差し指と小指に、銀のリング。

この写真に映し出されている瞬間は、都市生活における存在の儚さと、他者との関係の曖昧な境界を象徴しているように見えます。斜め後ろからフレーミングされた構図は、観察者としての距離感を強調し、私たちが見ることのできない領域、

つまり顔や表情を隠していることで、個々のアイデンティティや内面に触れることができないもどかしさを感じさせます。この「見えない部分」は、他者との関係における永遠の不確実性や、完全に理解し合うことの不可能性を示唆しているのかもしれません。

男性の手が女性の腰に触れているジェスチャーは、接触と所有、親密さと距離の間に存在する矛盾を表しているかのようです。彼の指が女性の体を触れる一方で、彼らの顔が見えないことは、この親密さが物理的なもの以上のものであるか、

あるいは逆に感情的なつながりが希薄であることを象徴しているかもしれません。私たちはこの瞬間を目撃しながらも、その内面的な感情や物語を知ることができないのです。

都市の背景、無機質なコンクリートの表面、淡いブルーのトーンは、都会の冷たさと孤独感、またはその中で見出される一時的な繋がりを象徴しているように感じます。都市は個々人のアイデンティティを消し去り、

匿名性の中に包み込む一方で、その中で私たちは時折、誰かと触れ合う瞬間を求める。まるで、この一瞬の親密さは、広大な孤独の海に浮かぶ儚い島のようなものです。

タイトルとしては、
「触れ得ぬ関係」
「孤独の境界」が合うかもしれません。

これらは、表面的には親密に見える関係が、実際には深い孤独感を伴うこと、そしてその境界が曖昧であることを反映しています。人と人との間には、目には見えない境界が常に存在し、それを完全に越えることはできないという哲学的な問いを提示しているように思えます。

もしよろしければ  応援サポートお願いします。