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ニュース!朝日新聞夕刊一面に沢田研二写真!

沢田研二x早川タケジの写真集制作にかかわったので、写真家としても表紙回りや多くの僕がかつて撮った写真が紹介されているのだが、昨日関係者から、朝日新聞の夕刊の一面に、沢田研二の写真集の紹介記事が載っていると聞いた時、意味がわからなかったので、それは広告ではなく、記事なのかと聞くと、タイミングよくFACEBOOKのメッセンジャーに、友人から記事の複写が送られてきたので合点したものの、ああ、新聞も、たとえ夕刊だとしても、かつてのジャーナリズムというよりはこうやってコマーシャルに走ってしまうという、もはや半減した読者をなんとかくい止めようという断末魔なのかなと、この記事が、僕にとってはとてもうれしく、誇らしいこなのに、どこか新聞の衰退を憂う気持ちもあり、と言うのも、僕の父親は朝日の新聞記者だったので、子供のころは新聞記者にあこがれていて、ちょうどテレビで「事件記者」というドラマが放映され、その時父親は警視庁のキャップだったので、それは花形の職業であり、新聞記者ってなんてかっこいいんだとずっと思っていたのだが、将来、新聞記者とは思わなかったわけは、勉強が好きじゃないので、もっと肉体的なカメラマンなら楽しそうだと思い、写真学科に入り報道写真家を目指すつもりだったが、入学してすぐに、写真は報道より、広告やファッション(今よりもっと広義の意味があり芸術も含まれていた)の方が面白いと初心変更し夢中になり、結局そちらのほうに写真家になったので、そんなわけもあり僕は未だ写真家としてノンジャンル、なんでも撮る写真家になってしまい、正直、今となっては、いどころがないのが、少しハンデかなと思う次第と、なにやら話が脱線したが、すぐに朝日の夕刊を手に入れようと夜コンビニに走ったらコンビニの新聞雑誌コーナーは絶望的に縮小して驚きつつ、それでも何軒かあたると朝刊しか売っていないことを知り、朝日の販売店に電話するものの繋がらず、あっそうだと思い、100歳の母親に電話しようと、その前に彼女今の様子を見るためTAPOで部屋の様子をiphoneで探ったら、すでに電気は消され寝ているようだったので、朝電話することに、実は彼女は朝日新聞を今でも取っていて、毎日読んでいるのであり、先日も、新聞で芸術新潮の養老孟子の特集を知り、彼女はファンらしい、取り寄せたら、沢田研二のあなたの写真が載っているよ、教えられ、実は僕は、もう10年ぐらい前に、朝日新聞を取るのをやめたので、新聞記者の子供のくせに新聞を取らないのはなさけないと怒られ、あなたより私は情報が早いでしょう、新聞を読むからよ自慢するも、昨日の夜は母から連絡がないので、すでに寝てるし、住んでいる伊豆方面の夕刊と東京の夕刊は内容が違うのかなと思っていたら、朝、電話があり、夕刊の一面にあなたの写真が載っていると知らせてきたので、あ、伊豆の方でも朝刊の内容は一緒なんだと答えると、昨日の夕刊は、今日の朝刊と一緒に来るので、今見てびっくりしたと、そして今、新聞は昔と違って内容がすっかり変わって、良くなっているといい、だからあなたもちゃんと新聞は読まなくちゃいけないと、また説教、ちょっとばかり心に響いたそんなわけは、実は、最初に書いたように、サブスクの成功例の新聞は、これまであぐらをかいていたので、努力がなかったのであり、今回のような沢田研二の夕刊一面記事は、これまでの新聞からの脱却のあらわれなのかなと思いはじめ、たしかに売れ行きは半減しても、ニュースを集める仕組み、それを配送するしくみは、まだ存在し、電子とは違う可能性を秘めているような気がするし、紙メディアは死滅するのかと思ったが、紙メディアでしかできないことを、はっきりとうちだせば生きる道があると思えたので、日々発行される、新聞はその実験の先鋒になることもできるのかなと、可能性を感じ、ということはこの記事は、ニュースの発明だった気づいたしだいでありますし、毎夕発行される新聞の夕刊は、なんでもありの実験場になる可能性があると、新聞でも取るかと、時代に逆行することも大切だと思った、今日の朝でありました。

朝日新聞デジタル版よりスクリーンショット

新聞の複写も、厳密には著作権に触れるだろう。ただ新聞の夕刊は購読されることがごく一部(?)なことや、新聞の宿命上、翌日には新しくなり、紙としていは残るけれど、ニュースとしては消えてしまう。図書館に夕刊はあったかな。ところがデジタル版は消えない。常に今として残る。それがこのような高解像で残ることは、単純に著作権侵害にあたるだろう。ただこの場合、批評としての引用なので微妙なところだろうか。
新聞の販売部数が激減している事実。新聞に未来はないのか。
少なくとも、夕刊は新たなメディアとして生まれ変われるように思えた。

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