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#デザインの敗北 というハッシュタグをXで見つけた。これは#写真の敗北 でもある。

Xで、#デザインの敗北 というハッシュタグがあったけど、
これは、#写真の敗北 であり、
#検閲 の自己検閲の勝利だ。
日本人って、
#事なかれ主義と#検閲勝利 #空間恐怖症 #隙間恐怖症 かな。
ビジネス最優先。目立てばいい。

まるで日本の雑誌の表紙と他国の雑誌の表紙のレイアウトの違いみたいだ。
特に、センスが重要な、日本のファッション誌と、日本以外の国のファッション誌のデザインの違いは?
なんでも日本の雑誌は、文字が多い。
いやいや中身は写真も多い。
一ページを情報で埋め尽くさなければならない。
まるで女工哀史のようなものだ。

良い大学を出て、良い会社に就職した人材が、編集者が、
なんでもかんでも情報量を増やせばいい、(だれもそんなこと思ってない)と、読者はめだちゃいいんだよ、量を求めているんだ。よと、
みずから女工哀史志願。

かつての日本はなんでもシンプルだったけれど、
戦後、日本精神を否定するやからが、しかけた、日本人不感症プロジェクトだったのかな。

雑誌編集者という、
職業は、量をこなす仕事じゃなかったのにね。
日本のファッション誌がなぜ、カタログのようなのか?
答えは簡単、女工哀史を受け入れているから。

きっと、世界中、ファッションの編集者になろうとしている人間が、
質より量を、目指しているなんて、日本以外ありえないと思う。
だから、そんなことやりたくないから編集者になっているので、
それを受け入れている、
日本の高学歴の編集者たちは、
洗脳されていると思う。
日本の出版の原因は、そこにある。

テーマに戻ると、このパラサイトのポスター、
オリジナルは、一生懸命、写真家も考え、デザイナーも考えつくしている。
なんだか、わからないけど、
「それ」がテーマだ。
映画はもっとアクティブだったけど。

でも、ポスターって、写真ってそんなもので、深層意識に働きかける含蓄が必要。
特に、このように演出した写真の場合は、ダイレクトすぎるのは、
過ぎる、空間恐怖症のデザインは、超、「カッコ悪い」
デザインは、
「カッコよくありたい」
アートなんて、
「カッコよさ」以外になにもない。
存在としては、陳腐でも、
その心は、「カッコよく」 
#カッコイイ 

それにしても
かつてアートディレクターが強かった時はよかったけれど、
今は、上のいいなりってことかな。
デザインの敗北。
なによりこの死体の紛失はどうしてくれる。
これは、死体の隠蔽か。

かつての日本はなんでもシンプルだった。
戦後日本精神、シンプルを捨てたのかな。

週刊文春のような雑誌が、シンプルな表紙を選択していることに

デザインの深さを感じる。

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