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「ああ、上野駅!」NEW! CRP TOKYO 写真集 上野駅界隈 3月19日㈰pm4時59分まで、誰もが無料でダウンロードできます。 


ああ上野駅 
上野駅は子供のころから、ある意味東京駅より印象深い駅だった。
かつては新潟や長野、東北駅の出発駅であり、終着駅だった。
他のどの駅とも違うスペクタクルな光景、ずらりと改札口が並び、頭上には、
時間、行き先、番線の書いている札がずらりと垂れ下がり、その先の薄暗いホームには、
尻を向けた列車の尾灯がぼんやり赤く連なっていた。

最初の記憶は、夏休み、母親の実家である福島に行った時だ。子供の頃僕は鉄道模型マニアだったから、電気機関車や汽車、貨物車、客車に興味があり、そんな列車がずらりと並んだ上野駅の情景は興奮ものだった。
その時は蒸気機関車だったろうか。いや、福島県内の移動のときだったか、記憶はさだけではないが、途中から蒸気機関車になったのか、トンネルに入るたびの煙に攻撃に辟易とした。
郡山駅前の、祖父が政治家だったという親戚の屋敷にはいると、前年完成したばかりの、1mぐらいの赤と白の東京タワーの模型が飾ってあった。僕と同じ歳の長男が組み立てたものだという。
須賀川に住む従姉妹の律子を駅前で、フジペットで撮影した写真が残っているから4年生の夏だろう。
その後岳温泉に10日間ぐらい滞在し、途中父親が数日やってきた。

中学生になったとき、僕は越境通学で、御徒町にあった練成中学校に市川から通っていた。通常は御徒町、もしくは秋葉原から国電(JR)で、通学していた。ある日、そのことは子供のときから知っていたことなのだが、上野広小路から市川までバス路線があり、夕方の下町を揺られた。どのくらい時間がかかったかは覚えていない。多分1時間以上はかかったはずだ。
大学を卒業して、篠山さんのアシスタントになった年、1972年の初夏だったか、アサヒカメラで「篠山紀信と旅をしよう」という企画があり、応募して選ばれた商船大の浅田君とドイテクニカルフォトの笠原さんと、新米助手の僕と篠山さんの4人で3泊4日の東北取材旅行をした。出発の日、ひっそりとした深夜の上野駅に集合した。夜行寝台で秋田までゆくことになった。その時、笠原さんのボーイフレンドが見送りにきた。僕らを無視するボーイフレンドの横顔が、まるで映画のワンシーンのようだった。

ARI HATSUZAWA

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