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ロバート・キャパ最期の日

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1954年5月25日、午後3時ごろベトナム北部、紅河デルタの町タイビン郊外のタンネという場所で地雷を踏んで死んだ。手にはNIKON S が握られていたという。キャパの伝記は、リチ…
このマガジンは、ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」の本文と本には載せられなかった写真など…
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#ロバート・キャパ

2024年2月 原宿表参道 この写真を撮って、ふと思い出したロバート・キャパの名作。

1954年ロバート・キャパが亡くなり今年5月25日で、没80年となった。キャパの作品は、商業的目…

はじめに#1 noteで書く理由

ロバート・キャパ最期の日 2004年に東京書籍より出版された「ロバート・キャパ最期の日」は、 …

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はじめに#2「崩れ落ちる兵士」は、FAKEか!

答えはYES.である。But?                無料です。 この写真は広告写真な…

02  キャパの死の場所が見つからない。

ロバート・キャパ最期の日 ベトナムハノイ近郊、タイビンに キャパが地雷を踏んだ場所を探し…

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03 ロバート・キャパ日本に到着する。

ロバート・キャパ最期の日  1954年4月13日(火)pm9:40 羽田空港 1 東京 東京の桜は散…

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08 キャパ日本を発つ!4月29日~5月1日

4月29日 木曜日 天皇誕生日にキャパは皇居にでかけた。 ときおり小雨にみまわれた。キャパは群…

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09 日本滞在中、キャパの通訳をした、 金沢秀憲に会いにゆく!

当分の間、最後まで無料で読めます。 1954年カメラ毎日創刊2号 7月号 金沢秀憲からみたロバート・キャパ 金沢がこの記事を入稿したのは5月15日、 キャパは5月25日に地雷を踏み亡くなっている。 1954年、カメラ毎日の創刊記念に招待したキャパの通訳として世話をしていた金沢秀憲。彼はもともとはニュースカメラマンだ。戦争中、上海、フィリピンと支局をめぐり、英語が堪能だった。そんな彼が出会ったロバートキャパはどんな人間だったのだろうか。 ↓中央がキャパの通訳中の金沢秀憲氏

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