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走って 走った。

私は女だてらに一生懸命仕事をする方だった。

住まいは母と二人暮らし。

とっても良い人に出会った、結婚した、広めの団地に引っ越して義母とも一緒に住んでくれる。

長女が産まれた、とっても良い子。

次女が産まれた、母のすすめで普通に育てる事になった。

私とパパが仕事中は母と長女が次女の面倒を見てくれた。

団地は5人では手ぜまだったので長女が大学に上がるタイミングで一人暮らしを始めてもらった。

次女は中学までは行けたが高校は無理だった、当然と思った。

たまに長女が遊びにきてくれる我が家は平穏だった。

長女が一人暮らしにアクシデントがあったらしく一旦こちらの実家に戻りたいと言ってきたが断った、彼女なら何があっても大丈夫だから。

長女が結婚した、その頃から長女と意思の疎通が難しくなった。

ずっと入院していた母が死んだ、母べったりの次女はそれほどショックを受けてないようでそれは良かった。

次女はやっと掃除等の簡単な作業のアルバイトを始めた、しかし自分で稼ぐ数倍をすぐ使ってしまったり生活にだらしがない、やっぱりアルバイトも続かなかった。

パパが入院、心配だったがすでに末期の癌だった、闘病2ヶ月で逝ってしまった。

それから次女と二人で暮らしていた、広い我が家だから長女にも来て欲しかったが余り寄り付いてくれなかった。

一生懸命叱っても次女は治らない、一瞬だけ言うこと聞くが明日になったら忘れて元の木阿弥。

私が癌になった、それでも次女を一生懸命補正しながら暮らした。

抗ガン治療のせいで身体がダルくなっても、それでも次女が散らかす部屋や掃除洗濯を何とか頑張った。

もう次女が散らかす部屋を片付ける力も出なくなってきた、みるみる散らかる部屋。

私用に介護ベットが入る事になった、時々介護ケアが入る事になった。

眠くて眠くて仕方が無いので寝ることにしますおやすみなさい。

そしてパパに逢えました。

月に行かせて(笑