見出し画像

『空気階段の踊り場』がある世界、バラエティの「朝礼機能」

【はじめに】

 開催すら危ぶまれたキングオブコントが、今週の土曜日に行われる。
今年はファイナリスト事前発表という、比較的悪しき面の強い風習が途絶え、KOCを一つのコンテンツに含む「お笑いの日2020」として決勝戦は放送される。

 そして、決勝進出者が発表されたとき、去年からの2年連続出場を果たした空気階段への注目が圧倒的であることに驚いた。
ツイッターのトレンドで「キングオブコント」を「空気階段」が抜いたのだ。
これはきっと、TBSラジオで彼らがパーソナリティを務める『空気階段の踊り場』の効果が大きいはずだ。

 スポンサー主催の賞レース優勝特典枠で放送開始してから4年目の今年、金曜日深夜への移動、存続が決定したことで、番組は一つの壁を越えた。
 空気階段の二人も、お笑い芸人のラジオを扱う雑誌、吉本発行フリーペーパーでの大々的な露出。
単独ライブの大成功、グッズTシャツのデザインを手がけたEMCとのクロスオーバー、 ラジオを起点にオファーがあったドラマ出演など、昨年からの一年で相当な躍進を果たしている。

 
 さて、空気階段はキングオブコントを優勝するものとする。かたまりは1000万円をTBSからカツアゲし、メディア出まくり、顔ファンも増えまくり、歯出しまくりで、爆売れ街道を進むのだ。
そうなると、視聴率1000%を達成した『空気階段の踊り場』が面白いだなんて、これ以上誰かに伝える必要なんか、なくなってしまう。

 私事だが、昨年アララで活動した、当時大学生の我々3人が卒論を無事書き上げたとき、もう一つの卒論として雑誌でも作ろうかと話した時期があった。そして残念ながら計画は途中でボツになった。noteに出すには長い文章となった僕のパートは『空気階段の踊り場』について書いたものだ。
 ところが先月、お蔵入り、出しどころのなかったデータを見つけて読み直したとき、これが1年前の文章であることに驚愕した。
この、たった1年のうちに、お笑いを楽しむ目線、メディアを往来さえしてしまうコンテンツ、その圧倒的な量、テレビ局がお笑いでイケると確信したことが、激変したように改めて思う。
 『原風景』というお題で書いた僕の『空気階段の踊り場』についての文章は、小学生の頃から好きだった、いわゆる『王道バラエティ』と呼べるものへの後ろ髪引かれる思いを、無名芸人のラジオが払拭させにかかっていることへの喜びを現そうとしている。
そしてそれ自体、過去の気持ちなのだ。
追い切れないほど、そして追い切れないのがもったいないほど、面白いモノが存在感を光らせはじめている。今のエンタメ、コンテンツを享受している。

 なので、過去の感覚を思い出し、今と比較するために、そして何より空気階段が優勝する前に、アップします。
稚拙な部分は、ご容赦ください。
(オケタニ)


【「あの頃のテレビはよかった」なんて、いつの時代も言われているけど】    

 映像も音楽も漫画もスマホで消費できる、もっと手軽に、もっと面白いモノを求める本能が許容される時代。最近じゃ、隙間時間も、ソファに腰かける時間も、何かを視聴するか、何か情報を集めている。常に何かが生まれ、発信され、流されていくことを受け入れてから、生活の単位は一週間じゃなくなった。
高校生の頃は、一週間楽しみに待つテレビ番組がたくさんあったのに。
腹を抱えて爆笑して、なぜか感動して、本当もウソもどうでもいい。
とにかく面白かった!すごい!そんな「なんかよく分からないけど面白い」バラエティが僕は大好きだった。

でも、
2014年に「また明日も見てくれるかな?」で『笑っていいとも!』が幕を下ろしてから。
2016年12月に中居君が『世界にひとつだけの花』のアウトロで、5・4・3・2・1と折りたたんだ指をパッと開いて、「(バイバイ!)」と降った『SMAP×SMAP』の最終回から。
2018年3月には「バーイ!センキュー!」と『とんねるずのみなさんのおかげでした』が、「みんなのうた」をバックに『めちゃ×2イケてるッ?』が終了してから。
大好きなバラエティももう、「あの頃のテレビ」になってしまった。

画像1

 振り返ると、固定されたレギュラー陣が、毎回様々な企画を行う「王道バラエティ」とされた番組には、お笑い・音楽・芝居のジャンルを横断し、最先端のカルチャーを企画やキャスティングに繋ぐ文脈があった。
そこに、出演者の喜怒哀楽が爆発する仕掛けが合わさったエンターテインメントこそ、僕にとって「なんか良く分かんないけど面白い」モノだったと思う。
そんな「王道バラエティ」には、「朝礼機能」とでも形容できるシステムが漂っていたのだと思う。


【バラエティの朝礼機能】

 番組における「朝礼機能」とは、通常回を積み重ねながら視聴者に出演者のキャラクターを認知させる機能だ。
ネタやVTRではなく、個性や関係性で面白さを発見したい視聴者に、「今・この人たちが・この話題について喋る姿が見たい」と思わせる土壌を作っている。

 実際、お笑い芸人やタレントの公私にまつわる出来事や事象に注目が集まったとき、渦中の存在を最もうまく発信したのは、芸人がコメンテーターにキャスティングされた情報番組ではなく、王道バラエティ番組だった。

ひな壇番組でその効果が断片的に発揮されることもあれど「朝礼機能」とまでいかないのは、それが事象ありきで集められた座組になるから。必ずしも全員に共通する話題ではなくても、その時々の主役にまつわる出来事を加工し、いつものメンバーで笑えるコーナーやドキュメントに昇華するのは「王道バラエティ」の特権で、いくつもの流れが生まれ、物語が作られた。

 「卒業」をテーマにした『めちゃイケ』最終回は、「朝礼」の繰り返しが築いた物語性の集大成といえる。
そして、鶴瓶が『いいとも』終了を「芸能界の港のような場所が無くなる」と形容したように、毎週「朝礼」をとる、タレントのホーム的な番組は激減した。

 先輩の卒業を祝う会と天秤にかけた末『笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号』を見に帰った僕も今じゃ、毎週出演者の無事を確認しつつ、何が起きるかドキドキしながら見るテレビは多くない。
 『ロンハー』『アメトーーク!』で宮下・草薙の草薙が進化していく様にワクワクしたり、『ゴッドタン』『テレビ千鳥』で大笑いをしたり、『M-1』『キングオブコント(KOC)』にソワソワしたり、『お笑い向上委員会』を眺めたりしても、どこか物足りない。
流動的なメンバーや企画が日常に流されていく感覚は、ぬぐい切れない。


【そして、ラジオを聴いていた。】 

 
 2014年、テレビを見る時間もない受験生だった僕はラジオを聴き始めた。『バナナムーンGOLD』をきっかけに、TBSラジオJUNK、ニッポン放送ANN(オールナイトニッポン)などの深夜お笑いラジオにハマり、『たまむすび』『生活は踊る』のような昼の帯番組にも支えられている。『菊地成孔の粋な夜電波』『問わず語りの松之丞』はすべて聴き返し、『佐久間宣行のANN』開始に胸をときめかせた。
 TBSラジオがPodcastを撤退したときは焦ったけど、スマホでいつでも聞き直せるradikoやラジオクラウドが整備されてから、毎週聴く番組は増える一方だ。
僕のような若年リスナーは激増しただろう。ラジオ側も、積極的に番組イベントを開催し、番組や局の垣根を超えた企画を作るなど、様々な仕掛けで盛り返しを図ろうとしている。

 考えてみれば、ラジオこそ長年「朝礼機能」を代表するメディアだった。
ラジオを聴く存在と、マイクに喋る存在だけ小世界に、パーソナリティは一週間で起きた出来事や時事に対する持論、話題のエンタメに対する感想を通して、価値観や思想を展開する。
教室のホームルームとまではいかずとも、放課後に部室に残った面々という感覚で捉えれば、ラジオにおける「朝礼機能」は、パーソナリティーの感情を共有するエンタメそのものだ。
 『ウーマンラッシュアワー村本のANN』『オードリーのANN』のようにリスナーとのコミュニケーションを制限した番組も、『アルコ&ピースのANN』『ハライチのターン』のようにリスナーとのグルーヴを生み出す番組も、その点は共通している。

 そして時は2018、僕は『空気階段の踊り場』と出会った。
全くの無名パーソナリティによる感情の爆発を、最大の魅力として聴かせるこの番組にすぐに夢中になった。
 いつか『踊り場グランドフィナーレ』が放送される日がきたら、僕はどんな予定をすっぽかしてでも放送開始に備えるだろう。おそらく、ゲストは岡野陽一だけだろうが。

『空気階段の踊り場』

画像2

 天下のTBSラジオで、無名若手芸人の冠番組が3周年を迎える奇跡が起こっている。去年のKOC決勝進出でその存在を知った人は増えただろうが、番組開始から今でもバイトを続けるくらいの“売れない芸人”が、TBSのメインパーソナリティを務めているのだ。

 空気階段は、鈴木もぐらと水川かたまりによる吉本のコント師。狭いアパートでネズミしか感染しない病に倒れ、歌舞伎町の無料案内所でバイトを続けてきた鈴木もぐら。ギャンブルと風俗600万を超える借金がある“クズ”でありながら、番組内で告白した人生初の彼女と結婚してからは“元クズ芸人”として、別居中の妻子と暮らせる生活を志している。

水川かたまりは、高学歴の元引きこもりで、未だ親の仕送りで暮らしている。些細な罰ゲームを拒み、彼女の存在を隠し、すぐムキになる“クソ言い訳ガリガリサイコパスマザコンカレー号泣クソ野郎”(番組内で命名)。

 「デブと痩せメガネ」で想像される一般的なコンビバランスとは少し異なる。お互い欠落した部分をもつ二人に立場の強弱はなく、番組初期から放送中の言い争いは絶えない。
遅刻や約束違反に対して言い訳を繰り返すもぐらを“相手の心に石を積む男”と弾劾し、フラれたと報告した彼女との復縁を隠すたかたまりを責め立てる。喧嘩による収録中断も多く、言い争いがエスカレートするたびに「ジングルください」と言って仕切りなおす回もあった。

 しかし、社会に適応しきれないことを包み隠さず話し、正面から悩む二人のことを、なぜか嫌いになれない。嫌いになるどころか、そのひたむきさと明るさを愛おしく感じてしまう。そんな二人の「踊り場」には自然と、憎めない異常者も集まってくる。
無料案内所の後輩ナベくん、高円寺のエザキさん、初期コーナー「サラリーマンじゃない人の声」に頻出する“歯抜け”や“ホスト・ギャンブル狂い”、“クズ界の兄貴”こと準レギュラー岡野陽一。
欠落やクズの襷を掲げながら、哀愁や肯定、人生讃歌というブルースに踊る彼らもみな、愛くるしいのだ。


 もぐらがよく「永井(作家)さん、越崎(ディレクター)さんはどう思います?」と言うように、不器用ながら”まとも”な人生に向き合おうとする空気階段と、それを導いてパッケージするスタッフの力によって『踊り場』はできている。
だからこそ、風呂に入らないもぐらをシャワーに行かせるだけの回や、相方にカレーを作ってきたかたまりをイジるだけの下らない通常回のなかに、「水川かたまり号泣プロポーズ事件」や、もぐらと銀杏BOYZ峯田の関係が明かされる「駆け抜けてもぐら~僕と銀杏の青春時代~」など、二人の人生にとって大きな節目やルーツを凝縮した名作回が定期的にやってくる。

画像3


『踊り場』で明かされるリアル感は、生放送番組がもたらすものとは異なる。
リスナーには届かない“編集された時間”の存在も大きい。喧嘩による中断、プロポーズの覚悟待ち、別番組の収録前後など、放送外で攻守交替していく二人の感情が解きほぐされることで、限りなくノンフィクションに近いフィクションが仕上がっていく。

 この姿勢はコーナーにも反映されていて、もぐらの母に電話した際の音声をもとにした「もしもし、翔太か?」や先のカレー事件でうまれた「チンして、食べて」、自らロケにも出る「レンタルもぐら」「かたまりカラオケバー体験入店」なども、毎回の「朝礼機能」から自然に派生したイジりであり、やがて物語になっていくパーツだろう。

 空気階段は今後も不思議な売れ方をしていくはずだ。[ネタの評価→キャラクター認知→テレビで感情を見せる]という王道ルートに対し、メディア露出の少ない空気階段はキャラクター認知以降を、ファンに対しては全てラジオ内で行ってきた。
「人生バラエティ」スタイルで売れていく空気階段は、ネタきっかけに出現・集結した“第七世代”でも異質な存在だし、ひな壇バラエティで先輩に負け顔を見せることもない。

大型番組出演、初MC、ドラマ出演など、芸能界で“成り上がる”過程も描きながら、全てをさらけ出し、些細な出来事を作品に昇華してきた『踊り場』は、今最も「朝礼機能」の軌跡を描き続ける番組なのだ。


【そしてまた再生ボタンを押す】

 常に新しい何かが生まれ、流されるせいで、ハライチ岩井の言う「時の共有(生放送)」自体がエンタメとして成立する時代に、僕は収録番組が放送される金曜日が毎週楽しみで仕方ない。腹を抱えて爆笑して、なぜか感動して、本当もウソもどうでもいい。
とにかく面白かった!すごい!そんな「お笑い」を届けてくれる番組が少ないことを知っているからだ。

 「朝礼機能」が根底にある番組は、企画外の流れを企画にしたり、番組外の出来事を話したりするぶん、文脈を補う力がリスナーに求められることは否定できない。
しかし、文脈の無い番組を見て発生する感情は流されやすい。
情報過多のわりに空っぽなテレビに虚しくなるくらいなら、欠落した人生を肯定し、「良く分からないけど面白い」方へ足掻いていくまっすぐな異常者二人を追いかけた方が楽しいはずだ。 
  
過去回はラジオクラウドで全て聴ける。同じ教室で「朝礼」を終えたら、二人が踊り場で不格好なダンスを披露する様子を一緒に眺めよう。
僕らは、お笑い(と『踊り場』)のある世界に生まれてきたんだから。

(2019.11 オケタニ)

サポートは執筆の勉強用の資料や、編集会議時のコーヒー代に充てさせていただきます