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今期まだドラマを観てない人へ、何かひとつ追うのであれば『同期のサクラ』を観て欲しい。

4月から入社を控える大学4年生なため、毎回欠かさず泣かせていただいてます。

北野桜(高畑充希)は「故郷に橋を架けたい」という思いから、大手建設会社に入社する。そこで出会う同期の4人の仲間(新田真剣佑、竜星涼、橋本愛、岡山天音)と共にぶつかりながら成長していく。

物語は1話につき1年進む。第1話は2009年からはじまり、最終話で2019年にいたる。2019年に桜は脳挫傷により寝たきり状態になっていることが初回に提示される。4人の仲間が病床の彼女に自身との思い出を語りかけるというかたちで話は展開していく。

脚本は『女王の教室』や『家政婦のミタ』でおなじみの遊川和彦だ。遊川は「繋がり」や「他者性」を主題にしてきた作家である。

桜は、阿久津真矢や三田がそうであったように、キャラクターとしてのエッジの利き方に対し我々の日常との距離は遠くはない。彼女は僕たちの隣の隣くらいにいるのではないか、と思わされる。さればこそ、「桜はアスペルガーか?」などといった憶測がSNSや動画サイトを飛び交うのであろう。(『同期のサクラ』と検索すると、こういった類の考察にまず出会う)

『同期のサクラ』のどこに感動するのだろう。

菊夫くんはいま少し大人になったのかもしれません。大人になるとは自分の弱さを認めることだ、とじいちゃんがいっていたので。(#2より)

遊川和彦がこのドラマで主題にしているのは「関係性」だ。「橋を架けたい」というサクラの目標がそれを象徴している。そして、「関係性」のなかでも「弱さを認め合える」それだろう。誰もが一度は抱えたことがある(なんて断言してしまってもいいくらい)、弱さを認めるプロセスに立ち会える。

2話で提示された「弱さを認めることが大人になること」というテーゼは、3話4話でも引き継がれている。百合(橋本愛)にとっての「居場所がない」という問題。連太郎(岡山天音)にとっての「他者の視線が怖い」という問題。そのどちらも「弱さ」と向き合う話だ。おそらく来週の5話で提示されるのは「血統への不安」という弱さだろう。

サクラに弱さを気づかされると同時に、サクラも弱さに気づく。その様にも感動する。

連太郎:「あ〜もうこんな時間だけど」
百合:「ほんとだ、いつの間に」
菊夫「こういうのやっていると学生祭とか思い出さない?」
百合:「でも、これ仕事なんだよね」    
(#1より)

入社式からはじまるこの物語は、現代で「大人になること」と徹底的に向き合った作品である。弱さを弱さと認められない現代で、それでも素直に愚直に「大人になる」様に心を動かされる。

加えて、別の面白さとして『同期のサクラ』はこれまでのドラマの構造を破壊しにかかっている。

青年の主張、かっつうの気持ち悪い  (#3より)
 朝ドラの仲良し家族かよ(#4より)

というセリフ群に象徴されるよう、これまでなら「ここがテッペンで、まとめにかかるんだろうなあ」と思う展開で、もうひと押し展開がある。

しかし、独りよがりになっておらず見やすい。

『同期のサクラ』の構造は、

「サクラ起床」→「街の人を注意」→「仲間の問題を解決しようとする」→「仲間に邪険にされる」→「島のじいちゃんにファックスを送る」→「じいちゃん、ファックスを送り返す」→「こじれた関係性を乗り越える(『私には夢があります』)」→「写真を撮る」

と一定。そして、この物語の構造はサクラ自身の一切変わらないライフスタイルと相似だ。構造が一定だからこそ、演出/セリフ/登場人物の関係性の読み込みに集中できる。   

脚本や演出レベルで先進的な試みをしているが、外に開かれている。

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そのほか、『同期のサクラ』についていくつか思うことを。

・橋本愛がまだドラマナイズされておらず、その演技がまだしっくり来ていないが時間の問題であろう。

・ここ最近の日テレドラマの広告は総じて、「一枚絵」で見せてくる。それはおそらく『anone』以前/以降に分けられるだろう。今期の三作品、『同期のサクラ』『俺の話は長い』『ニッポンノワール』、すべて一枚絵だ。改編期に山手線でポスターを見ても日テレだとすぐにわかる。


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