なんで僕はKing Gnuの「Teenage Forever」を口ずさんでいるんだろう
最近、唐突にKing Gnuの「Teenage Forever」を口ずさみたくなることがある。歩いているときも、家でも、ちょっと暇なときに、いたるところで口ずさんでいる。ちなみに、飲み会の席でも井口理の雑なモノマネをしている。丸眼鏡をかけて、少し高い声を出せば、誰でもできるやつだ。
King Gnuは取り立てて好き、というわけではないのだけれども、昔から聴いていたし、なんとなくは全部の曲には耳を通していた。けれども、あのやたらと複雑なメロディラインを口ずさもうとは思わなかった。実際にKing Gnuのライブを観たときもそうだった。サビのフレーズをメンバーが観客に歌わせるくだりで多くのファンが戸惑っていた。カラオケでたまに「白日」を歌おうとする人がいるけれども、歌えないこと前提だ。
(ムックも全然歌えない)
しかし、どうだろう。昨年末にリリースされた「Teenage Forever」は圧倒的に口ずさみやすいのである。そして、歌っていて気持ちいい。
まず、歌い出しのメロディが気持ちいい。中音域から始まって、そこからギリギリの最高音まで駆け上がっていくあの感じは、Mr.ChildrenやGLAYをはじめとした90年代にポピュラリティを得たバンドの楽曲にも通じるものを感じる。
さらに、次にやってくるクールダウンしたBメロとサビも心地いい。8ビートのなかで小さな起伏が繰り返されるメロディラインは、歌えそうで歌えない。でも何度も歌ってくうちに馴染んでくる感覚が、ふとしたときに口ずさみたくなる所以だ。
そして、曲中に随所に挟まれる「てぃっ てぃっ てぃっ てぃっ てぃっ てぃんえいじゃーふぉえっばー」というタイトルの音節を崩しただけのフレーズも、わかりやすくキャッチーで、いつまでも繰り返し歌うことができる。
歌詞の具体性のなさも、この曲の口ずさみやすさに寄与している。この曲に並んでいる言葉は、ストーリーもなければ主語もない。少し引っかかるような、固有名詞も出てこない。タイトル通りに十代の気持ちを抽象化し、なおかつメロディに心地よくハマる言葉しか歌詞に採用されていないのである。
もはや「Teenage Forever」は、多くの人に歌われるための仕掛けしかない、とも言えよう。
ギター、ベース、ドラムのみの演奏からもそのことが伺える。King Gnuの他の楽曲にみられるような不穏な音色のシンセサイザーやヒップホップのような打ち込みのトラック、あるいはサイケデリック風のギターサウンドといったフックになる要素は一切排除され、緩急こそあれど、パンキッシュで疾走感のあるオーソドックスなバンドアレンジが施されている。
乱暴に言ってしまえば音楽としての新しさや芸術性を偏執なまでに排除し、むしろ徹底的に「口ずさみやすさ」や「やかりやすさ」を追求しているように思える。
もはや彼らは意図的に、あるいは本能的に「大衆流行歌」を作っているのではないだろうか。
そして僕が思い返す限り、ここまで徹底的に大衆流行歌を作り出そうとしたバンドは他にいない。
「Teenage Forever」をただのJ-POPじゃん!新しくないじゃん!と言いたい自分もいる。それでもJ-POP的な心地よさを、否定できない自分もいる。
そんなよくわからない感情のなか、今日もふとしたときに、てぃってぃってぃ、と口ずさんでいる。
(ボブ)
【今日の一曲】
「白日」ガチャピン
ガチャピンのカバーが衝撃的。あの声のまま、音程がちゃんと合ってるのが、もはや怖い。
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