通い慣れたチェーン喫茶の閉店
やあ。さよならなんて信じらんないね。
こんなにもこの景色は素晴らしいのにね。
まさかお前までいなくなっちまうなんて思いもしなかった。一度だって。でも気づくべきだった。人口密度が膨れ上がった東京で、ほとんど必然的におこった禁煙ブームを大義名分に馬鹿げた条例ができたときに。
お前は、いつだって繁盛しているように見えて、今どきのチェーンじゃ珍しいくらい、禁煙席と喫煙席の割合が五対五だったな。令和の条例に従って客席の半分を閉めるっていうんなら、それは確かに大問題だ。なんたって、今どきの大学じゃ珍しいくらい喫煙所が充実したキャンパスの目と鼻の先にある喫茶店なんて、喫煙者のオアシスであって当然だ。タバコが吸えなくなったお前を、いつも通りのペースで訪ねていたかと言われたら、俺たちははっきりノーと言う。お前にしかノーと言えないのが情けないよ。誰にノーって言えばいい?
だからって、そのためだけに通っていたわけじゃないことは、お前も分かるだろ?
換気が弱まる冬なんて、一時間いただけで旋毛の真ん中から靴下の先まで煙臭くなるんだ。それでも、2時間だろうが5時間だろうが俺たちは居座り続けた。
そこに居るってことが大事だったんだ。家から一歩も出ないわけでもないし、授業に出るわけでもない。なんの目的のない奴らが集まって、なんでもいいから取り合えず注文をして、飽きるまでいる。そんな場所が贅沢だった。
お前のところで何かをしたって思い出はほとんどない。授業に向かって駅の改札を出た足が気付いたら入口の階段を上がっていたり、一時間つぶすつもりが偶然いたツレと話し込んでそのまま飲みに行ったり、待ち合わせだってもっと近い場所があったはずなのにいつもお前のとこだった。
何もしなくていい、っていうのは、何かしたい奴がめったに集まらなかったおかげだと俺は思う。喫煙席の方は全部机席だったところ、気に入っていたぜ。カウンター式の座席があったら、活気とくつろぎが共存する空間にはなっていなかっただろう。
意味があっちゃダメなんだ。コンセプトだの目標だのそういうものは別の町でやってくれ。
いつだって誰かが誰かと話しに、時間をつぶしに来てた。名物マスターも、ママも、大将もいないチェーンのお前を、こんなにも愛する意味が分からない。葬式まで顔を出す爆笑問題と大違いだな。
だからさ、まさか、だよ。
不便とかそういうことじゃない。大学とか、趣味とか、夜の時間、生活の起点になる地点が無くなってしまうと、俺たちは家と目的地をピンポン玉みたいに往復するだけの奴になっちまう。そんなの予備校生とサラリーマンにまかしときゃいい話だろ?
信じられないよ。本当に、信じらんない。
お前、実は随分と先輩だったらしいな。三十路すぎのベテランとは思わなかった。俺たちが世話になったのは4年にも満たないけど、4年で収めるつもりもなかったんだけどな。お前、俺たちに肺がピンク色のピンポン玉になれって言うつもりか?そんなわけないよな?逆にそうなったとき、俺たちはお前を思い出さなくなる。そして今、久しぶりにお前を思い出した奴が大勢いるんだ。だからって、その大勢がお前の所に集まるわけでもないけどね。だって、お前の下に集まるのは、目的がない奴らだけなんだから。
次、あの町のあの駅の改札から大学に向かうとき、もう寄り道するところは無くなってしまうと思うと寂しいよ。
とはいえ、俺らもいい大人だ。学生だって、それなりに別れの経験は積んできてる。多少の喪失から立ち直れないほどやわでもないんだ。正直言えば、お前の出すコーヒーは懐かしむほどの味じゃないし、BGMも最悪な方だろ。一度だけ就活中の学生がOB訪問をやっていたのを見たけど、明らかにその席だけが歪んでいたのを覚えている。実のある会話をしていたからだろうな。
その時俺の隣には、サークルの幹事長を決めてる奴らと、文章力は黒人のバネみたいには図れないからチャンスがあるだなんて下らない思い付きを話している奴らと、煙草の箱の中から出てきたら面白い生物のランキングをパンダの赤ちゃんに決定した奴らと、tohjiがイケてるってやつらと、就職先が決まったって奴らと、卒業を嘆いてる奴らだった。
本当に下らない話ばかりしていた。
何かが生まれた場所だなんて思わないけど、何かが起こった時、もとをたどっていくと必ず一度はお前が出てくるんだ。
この喪失から立ち直れない程ヤワじゃないけど、あの喫煙席の光景は、もしかしたら大学で一番見たものなのかもしれない。じゃあ、ずっと忘れないんだろうな。
***
最後の営業時間が終わり、散らかった喫煙席を片付けていたバイトのTは、灰が溢れた灰皿が二つも並んだ机に舌打ちしながら、半分以上残ったアイスコーヒーの下に長々と文字が書いてある紙を見つけた。締め作業や他店へのヘルプも任されるくらいにはベテランバイトになったTは、今の店長に誘われて下北沢のブックカフェで働くことが決まっている。読書を目的にしたその店は、私語もパソコンも、当然喫煙も禁止されていて、客も上品な人が多い。グラスの水滴に滲んだ文字をいっぺん読んだTは、もう一度それを読み直して、自分が働き始めた時期に連日やってきた客を思い出した。コーヒー一杯で何時間も、何十本も煙草を吸い、夜になったら辛気臭い顔して飲みに行った、たぶんあれは早稲田の学生だ。
意味のあることをやろうとしているくせに、意味がない平凡さへの居心地の良さが全身にいきわたっているような奴らだった。よく考えれば、そういう奴らしか来ないような店だった。奴らの会話を盗み聞きしながら灰皿を取り換えに行くのがなんとなく好きだった自分も、奴らと同じように何かから抜け出した方がいいんじゃないかと思った。
テーブルを拭き終わって椅子を直したTは、一度ポケットにしまったその紙を取り出し、丁寧に折りたたんで、灰皿に乗せてから、喫煙席を出た。
***
アララ結成をたまたま盗み聞きした喫茶店のバイト店員T。という、架空の存在を通して、僕はアララの活動を読者の形に伝えて行きたかったのですが、架空の店員が働く実際の店舗が潰れてしまうということで彼の存在も消滅させることにします。架空の人間がいる架空の店まで作ってしまうと、アララ自体も架空みたいなもんですから、いよいよ訳が分からなくなってしまいますので。逆に言えば、メディアでもブログでもない団体の、架空な部分を現実につないでいた現実の空間がシャノワールという店舗だったのです。
分霊箱の一つが、自らを清い存在と勘違いした何者かに破壊されてしまった以上、新たな何かの創造と、残りの箱のありかを隠し通そうと、今後も虚実混じったシリーズを書いていこうと思います。
シャノワールに対する想いはあれど、マスターやママや大将のいない店の誰に愛を伝えようか分からない皆さん、見たことはないけど、おそらくずっと僕らの灰皿を交換し続けてくれたであろう架空の店員Tに、感謝を。
(オケタニ)
https://note.com/laundryland
アララは平成31年1月19日に発足した。
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