映画好きが観てなさそうな、『一度死んでみた』を観てきた。
卒業式のあと、友人と『一度死んでみた』を観に行ってきた。
この映画は、『ソフトバンク 白戸家シリーズ』のCMなどを担当し、乃木坂46の『帰り道は遠回りしたくなる』のMVの監督を務めた、電通の澤本嘉光氏が脚本を担当している。
彼の前作は『ジャッジ!』という広告業界のコンペを設定に用いた映画だが、
そのスター大集合的な「派手さ」からこの作品をなんとなく覚えている人も多いのではないだろうか。そして、
2014年公開の『ジャッジ!』も広告界を描いたものでしたが、その直後に松竹から次回作をという話が出て、今回の映画の準備を始めていたのです。
(『創:4月号』:澤本嘉光インタビュー メディアを広告する仕事 より)
と、前作の直後から企画されていたものであったらしい。
そして、監督はau『三太郎シリーズ』などを手がけている浜崎慎治氏が務めている。
今回の『一度死んでみた』は、「玄人受けする」とはお世辞にも言えない作品だ。が、随所に広告業界の創り手だからこその瞬間最大風速の吹かせかたを見た。
現に澤本氏もインタビューで、
セリフのテンポが速かったり、宇宙飛行士の野口聡一さんがワンカットだけ出てくるとか、CMでやっている技法をこの映画にはいっぱいつめこんでいます。(『創:4月号』:澤本嘉光インタビュー メディアを広告する仕事 より)
と語っている。
例えば、著名なネットインフルエンサーたちを出演させている。吉田尚記氏、宇野常寛氏、はあちゅう氏、フォーリンデブはっしー氏などだ。
このように実際に出演させて、インフルエンサーに告知させるという手法はこのようなジャンクな作品だからこそできることであり個人的には面白いと思えた。
(▲はあちゅう氏による『一度死んでみた』に関するツイート)
この映画は堤真一演じる父親が「一度死んでみた」ことで引き起こされるトラブルを娘である広瀬すずが解決していく物語である。テーマが「生/死」ということで、それを広告的に演出するシーンが度々出てくる。一つは、劇中で広瀬すず演じる主人公が度々叫ぶ
「今死んだら、ぶっ殺すわよ!」
というキャッチコピー的なセリフ。や、葬式のろうそくをクリスマスケーキにぶっ刺す演出で「生/死」の表裏一体性を一枚画で表現したりなど。
また以上のようなテーマとは離れて、広瀬すずとその父親の部下役である吉沢亮との関係性を強化する会話シーンでは、
吉沢亮:「(見た目が)タヌキみたいなので」
広瀬すず:「はあ!? 猫みたいってよく言われるんですけど」
吉沢亮:「タヌキは哺乳類ネコ科です」
という、”いかにも”な広告的会話劇が繰り広げられている。
そして、どちらかというとここからが今回の記事の本題なのだが、最近、私は広告に「父性み」をどうしようもなく感じてしまうのである。
例えば、森七菜が出演しているオロナミンCのCM。
生徒会長選挙に立候補している森七菜が、手の甲に書いたカンペを汗で消してしまうのだが、それに気づいた際に自分で自分に「バカッ!」とツッコミを入れるのである。
私自身の変化によるものなのか、それとも時代の変化によるものなのかはわからないが、「清涼飲料水のCMの女の子」のイメージおよび「純粋さ」のメイキング過程が見え隠れしてしまい引いてしまった。どうしてもそこに「広告業界の親父さん」の手が介在していることにどうしようもなく意識させられたのである。
「マジで/一人称視点で」、自分の人生を生きている「女の子」は自分に「バカッ!」と頭を叩いてツッコまないはずだ。
それはまるで、『一度死んでみた』の(一度死んだ)父親が娘の成長を幽霊となって見守って、最後は自分の意志を継いで社長になってくれるというその願望を満たす結果となったその構図とどこか似たように感じざるを得なかったのだ。
少し話は変わるが、先日、最終回を迎えた『コタキ兄弟の四苦八苦』がすごくよかった。
「兄弟」「すでに父親である/すでに母親である」「同性愛」という関係性を主として物語が展開している、「父/母になる」というありきたりな物語構造から距離を取れていた。
それは脚本を担当した野木亜希子が最近の志向を存分に発露させた結果であり、『リンダ リンダ リンダ』で男性に「消費されない」女性たちだけのコミュニティの物語を描いた監督の山下敦弘の作家性とも相性がよかった。
(了)
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