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抗うつ剤への偏見に負けない

ただ今抗うつ剤服用四日目の昼、空腹は感じるけれどあまり食欲が出ず、食事回数を増やしてたんぱく質をメインに、食べられるだけの量を少しずつ摂る対策を取っています。元々胃腸が弱く少食なのですが、しっかりトレーニングを始めてからは結構食べられるようになっていたので、やはり薬の影響があるのかなと…怠さや眠気はもうほとんど感じないので、徐々に慣れてはいるようです。

抗うつ剤を飲み始めたことで、あまりうつに理解のない知り合いから、抗うつ剤は体に良くない、依存するからやめた方が良い、薬なしで治療はできないのか、と畳みかけられ、まあその方が理解できないのは仕方のないことですが、きっとそういった偏見から治療に踏み出せなかったり、無神経にかけられた言葉に傷ついたりしている方も多いのではないかと感じました。私自身、薬にそういう不安があったからこそ今になるまで治療を始められなかったことも事実です。

私たちはそれぞれに育った環境が違います。アインシュタインの「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」という名言のように、私たちの脳は育って来た環境に順応できるようプログラムされているようなもの。貧困や虐待、いじめ、日本では経験することのない戦争や飢餓の中で幼少期を過ごし生き抜いて来た人々もいます。暮らしが安定しても、何かの拍子にこの生還するため、自分を守るためのプログラムが作動して過度な反応をしてしまう。それは強いアレルギー反応や酷い場合はアナフィラキシーに似ていると思うのです。まず急ぎ薬で発作を止めることは必要な対策ですし、発作が起きない状態になれば、他者の力を借りて少しずつプログラムを書き換えて行く作業に取り掛かることができます。

アレルギーの薬を飲むことや、酷い痛みを感じたら痛み止めを飲むことにはほぼ誰も何も言いません。正当な対処法です。ならば何故脳の構造による発作や死にたいほどの苦しみを薬で止めてはいけないのでしょうか。

生活の改善や自制の努力をしても辛いのならば、外からの力が必要です。心と体は繋がっています。少し薬の力を借りてからまた根本治療に専念する。その変わって行こうとする意志を持つ人、一歩踏み出す覚悟を決めた人に周りがとやかく言えることはありません。私たちは身をもって新しいことを学んでいます。無知から来る言葉を気にしたりそれに傷ついたりする必要もありません。

日本でたくさんの人が自ら命を絶ってしまうのは、その痛みやアレルギー反応を止める術を知らず耐えきれなくなってしまうからではないでしょうか。病だと思わず、甘えや弱さだと自分で片付けてはいないでしょうか。スウェーデン社会でも古い考えや偏見を持つ人はまだ多くいます。まして日本ではもっと肩身が狭いということは承知の上で、どうか偏見に負けないでいてほしいと勝手ながら願うのです。

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