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死にたかったことを笑いながら話している自分に気づいた

二度目のカウンセリング。宿題のワークについて話し合う前に、まず最近のことで話しておきたいことはあるかと先生に尋ねられ、すかさず先週訪れた結構重い希死念慮について詳しく話してみました。

私は酷く落ち込んでパニックを起こしそうな状態の時に、劣等感を感じさせる人から励まされると更に自分を卑下して完全にクラッシュしてしまうようで、その相手が良かれと思ってかけてくれるポジティブな言葉は全て逆効果。それが相手の問題ではなく自分の捉え方に原因があると分かっているから余計に、その言葉を素直に受け入れられない自分を許せず更なる憤りを溜め込んでしまうことに。

一旦その落とし穴にはまると四方八方は暗闇で、もう今ここで生きることをやめるという選択肢しか思い浮かばないのです。心臓の周りや胃に実際に感じる痛み、それでも死ぬことは避けようとする少しの理性との葛藤の重圧に息が詰まり、一刻も早く止めたい、死ねばすぐ終わる、というような極端な出口に逃げようとする。

私は幼少期から摂食障害気味で身体測定の時にはいつも「痩せ過ぎ」に丸がついてきたのですが、睡眠障害はほぼないので、泣いて疲れて眠って翌日うまく落とし穴から這い出ていると、振り返っても「何故私はそんなに死にたくてたまらなかったのか」ということがはっきりと思い出せない。パニックの中なんとかメッセージや電話で話してもらった友人たちに対して申し訳なさや自己嫌悪を感じたり、次はそんなことにならないと強く自分を戒めたりしても、クラッシュ時の自分をコントロールするのはとても難しいのです。

そう一通り話す途中で先生は私に一言、

「どうして笑うの?」

え、私、笑ってたの…?

しばし考えて、nervous laughter(恥ずかしさや緊張など居心地の悪さのある時に笑ってしまうもの)か、死にたいと思っている時の自分を全く別人のように感じて馬鹿馬鹿しいと思っているのか、自分でもよく分からない、そもそも笑っていることに気づかなかった、と答えました。先生はそれについてそれ以上問わなかったのですが、自分の中に「何故笑うのか」という疑問が残りました。

事実、私は場の空気が不穏になった時や相手の負の感情にどう対応して良いか分からない時、変な笑いを浮かべてしまうことがあります。いわゆる「笑っちゃいけない時に笑ってしまうやつ」です。相手のことを馬鹿にしているなんてことは全くないし、状況が分かっていない訳でもないのですが、誤解されて怒られた経験も何度か。

自分の死にたかった時の話を人に聞かせるなんて相手にとって重荷かもしれないからと思って、笑い話のように仕立てようとしているということもあるのかな…まるで芸人さんが自分の悲惨な体験をネタにして人を笑わせるように。しかし私にそんな高度な技術があるはずもなく。

太宰治や村上春樹の小説のようなナルシシズムは自分には合わない、嫌いだ、と思っていたけれど、案外自分も退廃や葛藤に美を見出していて、彼らに対する感情は同族嫌悪なのかもしれない、なんて思うと、哀しいかな自分の死にたい病も板についたもんだと自嘲するのでした(だからそういうところがそうなのか?)。

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