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電話がこわい病

三度目のカウンセリング。引っ越しをして環境が変わり、新しいエリアの散策が楽しかったり、家賃も以前より安くなり経済的負担も軽減され、薬の服用にもすっかり慣れたことで気が楽になったり、外的ストレスが減ったことで勉強や仕事に対する意欲も戻って来ました。一時はもうここでの生活を続けられないんじゃないか、帰国するしかないんじゃないかと思い詰め、全て投げ出してしまいたい気持ちにまで陥ったので、そこからしっかり抜け出せたことに自分自身大変安堵したと先生に伝え、先生も喜んでくれました。

環境を変えることにはとても力が必要で億劫だけれど、一度の思い切りでたくさんのことに動きが出て、長く悩んでいたことが一瞬で解決してしまったりもする。ちょっとした荒療治ですね。人間、慣れることには長けていますから、どうせまたすぐに慣れるのです。水浴びの最初のバケツ一杯、被れるか被れないか。

さて、前回のカウンセリング時に、最初のワークをもう少し具体的にブラッシュアップして行く作業が必要だということになり:

以前よりはっきりとした「達成したいこと」を書き出して行きました。その中から一つ、まず実際に行動に起こしたいものを選び、それについて先生とディスカッションをしました。

私が選んだのは「友達にいつでも気兼ねなく電話すること」。私は子どもの頃から電話が大の苦手で、恐怖症と言っても過言ではないほど。いつも母の表情や雰囲気を伺ってから気分を害さない発言をしようとしていたことや、電話対応について母から理不尽に酷く叱られた思い出などからその恐怖心は来ているのではないかと思います。顔の見えない会話を即興でするなんて私にとっては高難度。日本語ならまだしも英語やスウェーデン語になると心底ハラハラします。

それでも仕事などで電話をせざるを得ない状況はいくらでも発生するもので、慣れもあり、電話自体への恐怖心は年齢と共に随分薄れました。ホームシックで始めたディスコードの日本人雑談コミュニティでも、割りと難なく見知らぬ人たちと音声チャットを楽しめている自分に少し驚いたほどです。

では何故友人に電話するという行為が自分にとってそんなにも難しい行為になっているのか。先生と話すうちに分かってきたその「障害」は「罪悪感」でした。

よく知っている友人だからこそ、普段の生活や家庭の状況がどんなものか分かっています。そうすると「仕事や子育てで忙しい時に私が急に電話して邪魔してしまっては申し訳ない」「変な気を遣わせて迷惑をかけたくない」という罪悪感に苛まれ、電話をするのが怖くなりやめてしまう。相手がどんなに「そんなことないからいつでも電話してね」と言ってくれてもなかなか越えられない壁なのです。親に邪魔者扱いされて育った記憶。自分は迷惑をかける存在でしかないと刷り込まれているのでしょう。

「頭でロジカルに、そんな事実は存在しない、と理解していても、心が納得しないとずっと怖いままで、罪悪感が出てしまうのは当たり前のことだよ。だからとにかく行動してみる。実験をしてみよう」

そんな訳で、先生から新しいワークを授かったのです。

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