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よもやま雑記

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考えがまとまっていないことやこれから考えたいこと、日々感じたことなど、思うがままに書きます。雑記。
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2018年3月の記事一覧

愛の総量と、その愛の配り方

愛の総量と、その愛の配り方

以前ともだちと、「愛の配り方って人それぞれだよね」という話をしていた。

なんでそんな話をしていたのかはもう忘れてしまったし、きっと特に深い意味はなかったと思う。新宿三丁目の「喫茶らんぶる」で、珈琲をすすりながらダラダラと仕事だとか恋愛だとかの話をしていたら、なんとなくそんな話になった。

「たとえば愛をお金にたとえるとして、人が持つ愛の総量が1000円やとしたら、その1000円をどう配るかって人

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100ではなく、1の約束を。

100ではなく、1の約束を。

きのうは、昼から西荻窪で予定があった。

西荻窪は東京の西側にある、情緒あふれるとてもいい街(こちらの連載がとてもすてき)だ。そこにはとても仲が良い女の子が住んでいるので、わたしはその子に会いにたまに西荻窪に行く。その子はわたしのひとつ歳下の女の子で、わたしのことを「あかしさま」と呼ぶ。大学時代からの知り合いで、編集プロダクションに勤めているその子とわたしはお仕事の受注/発注の関係でもある。

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おとうさんの涙

おとうさんの涙

おとうさんの涙を見たことは2度ある。1度はTVドラマ『よいこの味方』の最終回を見たとき(なぜか鮮明に覚えている)、もう1度は愛犬クーが死んでしまったときだ。

おじいちゃん、つまりおとうさんのおとうさんが死んだときでさえおとうさんは泣かなかったのだけれど、クーが死んだときにおとうさんは泣いた。

今日は、愛犬クーとおとうさんのことを書きたいと思う。

うちはおばあちゃんがペット大好き人間なので、犬

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不思議なあの日々のこと

不思議なあの日々のこと

「今となっては何故だかわからないんだけど」と言いたくなるような不思議な日々が人生の中にはある。

自分の価値観を180度変えてしまうくらいの衝撃を受けた本や漫画が今となってはどこがいいのか理解できなかったりするし、身を削ってでも頑張らなきゃいけないと思っていたあの頃の自分のことを「なんであんなに必死だったんだろう、かわいいな」と思ったりもするし、身を焦がすような恋愛のことだってもうすっかり思い出せ

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「非日常」を味わうことの意味

「非日常」を味わうことの意味

ただひたすらに「なんてことのない日常」が目の前にあること、それはすごく素敵でかけがえのないことだな、と思う。

こぎたない居酒屋で気の置けない友人とワイワイお酒を飲んで、ああ今日もお仕事がんばったなあってベッドに入って5分で就寝して、低血圧でちょっと気だるい朝を迎えて、休日になったら行きつけの喫茶店でマスターと話しながらカフェオレを飲んで、お気に入りの映画館で見逃した映画を見て。

自分にとって、

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「定点観測」の習慣を。

「定点観測」の習慣を。

見逃してしまっていた映画『パターソン』を見た。

なんというか、見終わったあとにじんわりと心があたたかくなり、日常のふとした瞬間に登場人物のことを思い出してしまうような、不思議な感覚のする、すごく好みな映画だった。

この映画は、詩を書く一人の男性パターソンの日常が、月曜日から日曜日まで定点観測的に描かれている。

劇的なハプニングがあるわけでもなく、ストーリーにものすごく大きな起伏があるわけでも

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「ネガティブさ」と地続きの位置にあるもの

「ネガティブさ」と地続きの位置にあるもの

私は本当によく物をなくす。財布だとかスマートフォン、定期券、時計、ネックレス、さらには家の鍵まで、「それはなくさないでしょう」「それはなくしちゃダメでしょう」というものまで気づいたらなくなっているし、そして、なぜだか絶対に見つからない。

物をなくしても結果的に見つかっている人をみると、心底いいなあ、と思う。「きっと見つかるって!」というその言葉が私に適用されたことは今しがた一度もなく、その言葉で

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「鍵日記」の思い出

「鍵日記」の思い出

中学生や高校生の頃、「mixi」や「デコログ」「Amebaブログ」などのサービスを使って、日記を書いていた。

このnoteに書いている内容はどちらかといえばエッセイやコラムに近しいものだけれど、その当時書いていたのは、本当にどうしようもないほどくだらない、ただの「日記」だった。

体育祭が楽しかっただとか、授業がめんどくさかっただとか、今日は友達の誰それと放課後カラオケに行ってプリクラを撮っただ

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