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1月18日 著名で生きる?無名で生きる?

1月18日ですね。

このところ音楽界からの訃報が相次いでいます。


無名の人であろうと著名人であろうと、人は死ぬ。それはことさら珍しいことではありません。


ですが、著名人が亡くなる際は、周囲の人が発したコメントで故人が偲ばれ、その業績が振り返られます。


存命の間はマスコミで報道され、死んでもなお、業績を取り沙汰される。この著名をどう取るか考えてみました。


著名でありたくない。人に知られなくても構わない。少数の限られた人たちの中で生きていけば良いと言う人もいるでしょう。

さらには、人からの評価はどうでもいいから、自分のしたいことだけをすると言う人もいるでしょう。


著名人である煩わしさから逃れたい。その気持ちはよくわかります。私もかつてはその考えを強く持っていました。


ですが人は一人では生きられません。自分を発信せず、無名の人生を選ぶなら、組織の中で歯を食いしばって生きていくしかありません。不条理な業務やパワハラに近いようなこともあるでしょうし、案件の状況によっては夜中まで仕事をしなければならないこともあるでしょう。


私はある時期、組織の中で生きることに疲れてしまい、個人として生きることに決めました。

すると、個人としての評価が問われます。そうなると発信しないとそもそも仕事はもらえません。限られた知り合いの中で組織に頼らず独立し、継続的に仕事をもらえるような立場になれるのはほんの一握りの方です。
そのため、私は無名のままでいたいという思いから一転、発信する側に回るようになりました。


そもそも、あらゆる組織が健全で個人を尊重してくれれば良いのでしょう。ただし、都会に住む方にはそこに通勤のストレスが加わります。


著名になるか無名で生きるか。どちらを選ぶかは人によってそれそれです。

ただ、普段から考えておいた方が良いでしょうね。どちらの生き方を選ぶか。

ましてや、これからは海外の文化や人がより多く流入します。組織がいつまで守ってくれるのか。いざ放り出された時、通用しなくなるかもしれません。


まずは、亡くなられた方々が残した音楽を聞きながらじっくりと考えたいと思います。

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Yoshikazu Nagai(長井 祥和)
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