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【映画感想】ビースツ・オフ・ノー・ネーション

「俺の目を見つめるのやめてくれないか?」
「でも机を見ていても仕方ないでしょう?」
 女ーーエイミーが言った。生意気の女だ、先生気取りやがって、俺から見るとこの小娘より俺の方が何倍おとなだ、何せ戦場を生き延びたからだ。
「何でもいいから、なにが話してみて。きみの経験とか、今何を考えているとか」
 俺が何も言わないのはまだ幼いから、上手く表現できないと思っているだろうが、そうじゃない。俺は兵士だった。戦場のことを素人に言ったところで何になる?やつらは戦場のこと何も知らねえ、だけど知っているふりする、そこが気に入らねえ。
「話せば楽になるかもよ?」
 エイミーは真摯な目で俺を見つめる。このカウンセリングが俺の役に立つと信じて疑わないようだ。全く面倒くさい女だ、かと言ってこのまま睨みあっこし続けても仕方ない。
「俺が今、自分の未来を考えている」
「いいね」俺が自ら発言したことに対して、エイミーは微笑んだ。「自分の未来についてなにを考えているか、話してごらん?」
 しつこい女だ、俺はす拗ねたクソガキみたいに天井を睨み、黙った。
「……ねえ、お願い、何か言ってみて」
「あのな」俺は無表情に、言葉を絞り出すようにしゃべった。「俺は恐ろしいことたくさん見たし、悪いこともたくさんした。話せば胸糞悪くなるだけだ……今はこれからの人生を毎日楽しく過ごしたいしか考えていない。仮に俺のことを教えたところで、あんたは俺を人の心を持たないケダモノか、悪魔と思うだろう……俺は自分が犯した罪を否定するつもりはない。でもな、おれもお前と同じ、家族がいた。お母さんとお父さん、そして妹と兄貴、俺は、愛されていた……」

 ビースツ・オフ・ノー・ネーションとは、西アフリカの内戦を描いた映画である。少年アグーは両親と兄、妹、祖父と共に暮らしている悪戯好きな少年であった。父は学校の教師で区長でもあり、それなりの稼ぎで家族を養えた。

 ある日、クーデターで政権を掴んだ軍政府はアグーが住んでいる町を緩衝地帯と指定し、住民に避難命令を出した。限られた時間と限られた交通手段で、住民全員を逃がすことはできなかった。母と妹を先に車に乗せ首都にいる親戚の家に向かわせた、苦渋な決断だった。すべてはこの時から始まったとアグーはそう告げた。

 翌日の朝、響き渡る銃声、逃げ惑う人々。町は政府軍と国家防衛隊(NDF)と呼ばれる反政府勢力が交戦し始めた。アグーの家族が逃走中に政府軍に捕らわれ、極めて理不尽な理由で反乱軍と認定され、処刑された。兄が背後から撃ち抜かれ、地に倒れ込んださまを目にしたアグーはやけくそになり、森へと走った。そしてNDFの部隊に遭遇し、捕虜になった。

 NDFとは、軍政府に対抗する民兵組織であり、各部隊長に率いられ、ゲリラ戦を繰り返している。アグーを拾った部隊はコマンダント(commandant、指揮官の意味だ)と呼ばれる男が指揮を執っている。コマンダントは逞しいくてカリスマ性に富んでいる大人で、アグーみたいな行き場のない若者を多く取り入れ、カルト儀式と麻薬で部隊をコントロールし、団結を保っている。ろくでなしであるが、アグーにはコマンダントについていく以外の道がなかった。

 胡乱なカルト儀式を経て見習いとしてNDFに加わったアグーの初任務は政府軍車両の待ち伏せでだ。気が長くなるほどの待機(その間先輩たちは大麻でキメていた)の末に、NDFは人数の優勢をもって政府軍をの車隊を一掃した。皆が戦利品を集める中で、コマンダントは生き残りの男を跪かせ、アグーにマチェーテを握らせた。

「アグー、男を見せる時だぞ。こいつを殺してみろ」

 急に捕虜の処刑を命じられたアグーは混乱し、苦渋な表情で拒否の意を伝えたが、コマンダント彼を唆す。

「どうした?遠慮はいらないぞ。こいつは政府のために働いてる、つまりおまえの家族を殺した連中とグルなんだぜ。こいつを殺して一人前になれ、なぁ?」

「頼む……おれは軍人じゃない、橋の修理で連れて来られただけなんだ……」

「黙れっ!アグー、早く殺せ!」

 アグーには最初から選択肢なんてなかった。すべての理不尽に対する怒りが沸き上がり、マチェーテを握りしめ、振り下ろす。ダッ。マチェーテが男の額にめり込んだ。

「アアアアアーッ!」

 マチェーテを抜くと、肉の裂け目から夥しい血が湧き出る。痛々しい悲鳴をあげる男をアグーはじっと見つめる。

「ストリーカ、彼を手伝え」

 後ろから一人の少年がマチェーテを抜き、男の側頭部に振った。この一撃で男は意識を失い、倒れたことが彼にとってせめての救いだろう。アグーとストリーカはマチェーテを何度も振り下ろし、男をミンチにした。

「この血をみろ」コマンダントは自慢げにその虐殺光景を見守った。「正義が守られた」

 初めての仕事を終えたアグーはAKを与えられ、正式の兵士になった。この日、少年アグーは一度死に、兵士として生き返った。「人は一瞬で変われる。良い方向にもな、悪い方向にもな」とあるヤクザが言った言葉だ。確かにアグーは変われた、だがそれは観衆の我々から見ても、アグー自身から見ても、悪い方だ。

お説教はもうたくさんだ

 と内容の紹介はここまでだ。アグーがこれから何を経験するか、どこまで堕ちるか、自分の目で確かめよう。私はnetflixで観れたから多分日本でも観れるんじゃないか?あと上の内容は私の記憶によるもので、必ずや映画の内容と一致してるわけではない。

 この映画と巡り会えたきっかけはサムネの悪っぽい黒人のおじさん、つまりコマンダントに引かれて、それにちょっと前ブラックパンサーを観たので、アフリカに興味を持ったからだ。当然本作はヒーロームービーではなく、主人公のアグーは日本では小学生5、6年生ぐらいの少年で、裕福ではないが、優しい母と責任感強い父、そして陽気で弟思いの兄貴がいて、それなり幸せの生活を送っている。「よくある映画の開幕だな、しかも主人公は子供か?はーん、これはよく見る紛争地帯の惨状を生々しく絵描いて平和ボケの先進国民に『こんなに苦しんでいる子供たちが大勢います!なのにあなたはその事実を背けて毎日過ごせるのはなぜですか?罪悪感がないですか?』と訴える映画だろう?ハァーつまんねえ、戦闘シーンが来たら呼んでくれよ」と映画を聞き流しながら他のサイトを見始めた。

 ダダダダダン! 「お、やっとドンパチ始まったな?どれどれ」と銃声を聞いた私は映画に集中した。アグーは昨日までの暮らしが無残に破壊され、胡散臭いコマンダントに拾われ、様々な非道を手に染めていく……私は映画に引きずり込まれ、最後まで一気に観終わった。これはお説教映画では断じてなかった。

 私にとってお説教映画というのは、中盤のところ善良な大人(教師とか神父とかボランティアとか)が出て、少年たちを正しい道に導こうと暴力を非難し、ラブ&ピースを讃える。そしたらさっきまで殺気立った少年兵たちは目から涙が溢れ、AKを捨てて自分が今まで犯した過ちを懺悔し、学校に戻り、平和になった生活の中で生きていく……そして「現在では約○万人のアグーみたいな子供が戦争と飢饉に苦しんでいます、彼らは貴方の助けが必要としています」など罪悪感を促すメッセージが流され、エンドロールに入る。果たしてこんな映画でボランティアに申し込んだり、多額寄付する人がどれぐらいいるでしょうね。

 本作では、少年兵を導く役割の人間は一人いる、つまりコマンダントだ。コマンダントはヤク中のろくでなしで、自惚れ屋(副長が部隊を呼びかける際は「コマンダントは今日も決まっているか!?」と問い、兵士たちは「きまってます、サーッ!」と答える、余程自分の外見に自信があるようです)であったが、それなりの戦術頭脳と野心を持っているし、状況によって自ら銃弾が飛び交う最前線に飛び込み、兵士を鼓舞するガッツを見せた。彼は決して無能の指揮官ではなかった。アグーの器用さと家族と再開するため必死なところを着目し、特別に寵愛した、色んな形で。だが彼も所詮一部隊の指揮官にすぎない、上には上がある、つまり中間管理職だ。最高指揮官なる者の指示を受けなければならない。これまで銃も抜かず、団扇だけを持って現代の孔明が如く戦場に歩いても無傷に勝利を収めるコマンダントでも、ただ一人の男であることを、アグーと我々は内心に察した。

心を痛める必要がない

「なにを言ってるんだ!あんたには人の心がないのか!?」

 まあ落ち着け、私だってアグーの境遇がかわいそうと思うし、同情に値するの思っている。でも彼のような子供に我々は何ができる?ボランティアとして緩衝地帯に赴く?今の暮らしを捨てて命の保証のない環境に飛ぶ込むほどの勇気は私にはない。じゃあ全財産を寄付するか?その金はAKやコカインや大麻に換われてさならる少年兵を生み出すんじゃないのか?わかんねえよ!俺はただのオタクだし、映画を観ただけだ。

 高校の時、金曜日の午後、生徒全員が体育館に集合することになった。とある人道支援団体のお兄さんが学校にきて、講演会を開けることになった。

「これは僕以前勤めた会社のオフィスです」とスクリーンに窓からシドニーの街を一望できる超高層ビルの一室らしきオフィスが映った。「僕はこの各室を与えられました。そしてこれはイヴのパーティの写真です」次に映ったのは、スシ、ターキー、ロブスター、フライドチキンなどうまそうな料理を並べたテーブルに数人が囲んで、手にワインを持って笑っている写真だ。右側にいたアジア人は昔のお兄さんに間違いないだろう。

「僕は以前、世界の頂点に立っていると感じて、羨望の的でした。そして僕は今この場所で働いています」スクリーンに簡素なデスクが何台が並び、上にノートパソコン置いてある。いかにも普通のオフィス光景であるが、さっきの洋ドラマに出てきそうな超高級オフィスとのギャップが大きい。

「僕は過去の生活を捨てたなぜだと思いますか?自分の無知が恥ずかしいからです。世界の頂点に立っているつもりでいたが、僕の目は何も見えていなかった。世界中の苦しんでいる人々の声を耳にしていなかった」

 そしてスクリーンにお兄さんがボランティアとしてアフリカと中東アジアに行った際の写真を見せた。痩せた子供、AKを持った鋭利な目の子供、地に倒れて、コンドルに狙われる子供。どれも哀れみを催する写真ばかりだ。

「国連のデータによると、六秒ごとに、一人の子供が死んでしまいます。皆さん知っていますか?それでは頭を下げて、目を閉じてください」

 私はとりあえず頭を下げて、地面を見ることにした。これから何が起こるかすでに心得ている方がいるかもしれないが、もうちっと我慢してくれ。

「6、5、4、3、2、1……一人が死んだ。6、5、4、3、2、1……もう一人が死んだ。6、5、4、3、2、1……更にもう一人」

 顔を横に向くと、数人の感受性が強い子が震え始め、今にもう泣き出しそうだ。

「顔を上げてください」お兄さんは悲しい表情で生徒たちを見渡す。「キミたちが学校がだるい、勉強が嫌いと抜かしている間に、子供たちが死んで行くんです。なのにキミたちは……なぜ平気で居られますか?」

 私は嫌悪感を覚えた。 言っておくが私はお兄さんのようなボランティアが嫌いではない、むしろ尊敬している。だが他人に自分と同じ価値観と道徳感を強要するのは勘弁してほしい。なによりこんな強引に人の罪悪感を自覚させようなやり方に嫌気が差し、援助すべき対象まで風評被害を受ける可能性もなくはない。

 あっ、私の方が説教臭くなった。すまない、ではこの話題をやめにしよう。とにかく私が言いたいのは、本作を観終わったあと、平和に生きている自分が卑しく感じたり、恥じたりする必要がない。アグーは言った、自分の物語を誰かに話して、憐れんでもらったり、軽蔑されたりはしたくない。彼から見ると、我々も、人道支援団体の連中も同じ、ただの知ったかぶり野郎かもしれない。だかれあまり深く考えなくていい、これからも平和を大事にして、毎日楽しく過ごせ、合法の範囲にな。

 最後に一つ、黒人は肌の色がいくら黒くても、手の平と足の裏の肌は色が浅いだろう?私がね、そこがとてもセクシーと思うんだ。 

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