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聖戦士、リーの誕生②

 カインが己の不甲斐なさに悔やんで、嗚咽していた頃、アベルは家の台所にいた。

「アンジェ、今日はきみを頂くことになる」
「いいえ、また川口に迷っていたシラスウナギだった私がもしアベルさんと出会わなったら、とっくに他の魚や鳥に食べられて、何もなせずに死んでいたんでしょう。アベルさんが拾ってくれて、おいしいミミズを毎日くれたおかげでこんなに元気に育ちました。アベルさんのためなら、喜んでこの身を捧げます」
「そうか。ありがとう」

 ドッ。釘がアンジェの両目を貫き、脳を破壊して即死させた。また神経反射で蠢いている体を抑えつけて、首にナイフを入れる。背骨を沿って、身体が両断しないようにナイフを尾に向かって引いて、身を開く。内臓を手掴みで取り除いて、ナイフで背骨を取り外す。腹骨、背びれ、腹びれも丁寧に外しすと、下処理が完了だ。処理済みの身に串を通し、炭火の上に移して炙っていく。イールたちによる親身の指導を受けて、アベルは若くして、そのイール調理技術は50年の経歴を持つ職人に匹敵する。例え彼がひょんなことで現代日本に転生しても、すぐに都心でシェフをやっていけるだろう。熱を受けたイールは身が縮まり、皮からピリッピリッと脂が泡立てて破裂する。香ばしいにおいが室内を充満する。アベルは口からこぼれかける唾液をスーッと吸い込んで嚥下した。

(素焼きだけでこんなにいい香り、今回のイール質も最高だ!ハァー……お兄ちゃんも一口ぐらい食べてくれたらいいのに)

 そう、カインは失楽園以来、自分とアダムが作った果物、イブが狩ってきた獣の肉も食べるが、水産物だけは一度も口にしたことなかった。アベルが家族にイールを振舞う時は両親がいつもおいしそうに頬張りながら離れた席で黙々とコルクっぽいリンゴを齧るカインを申し訳なさそうに見ていた。

 聡明なアベルは薄々と気づいていた、多分かつて家族がエデンというところに住んでいた頃の出来事に関係があると。しかし彼は深追いしないしさほど興味がなかった。昔は昔、今は今だとアベルは思っている。

(まあお父さんとお母さんは数か月間帰ってこないだろうし、お兄ちゃんが作ったリンゴも正直家畜のエサぐらいしか価値がないカスだし、あんなもの毎日食べればいずれ限界が来てタンパク質と脂が欲しくなるはず。気長く攻め落とすさ)

 焼き上げたイールに塩を振り、白焼きが完成した。アベルはその半分を食べて素材の味を楽しんだ後、もう半分に蓋をかけて、カインが家に戻ったらすぐ食べれるようにテーブルに置いた。

 しかし翌日、朝五時に起きたアベルはテーブルの上の手つかずの白焼きを見て、溜息を漏らした。

 結局昨晩はアベルが就寝するまで、カインが家に戻らなかった。外で野宿したか、あるいは一度戻って、アベルが目覚める前に出て行ったか。

「まったく頑固すぎるぜお兄ちゃんよー!」

 アベルは残りの白焼きを上で加熱して、パンに挟んで朝食を済ませた。

「よし、今日も頑張ろうぜ」

 エサ用のミールワームとミミズがいっぱい入ったバケツを提げて、アベルは朝の餌やりのために養殖池へ向かった。しかし養殖池に近づくに連れて、アベルはとある異様に気づいた。

「なんだ?」

 目を凝らすと、水面に細くて白い物体が浮かんでいると判った。アベルの心臓は一際強く打った。

「おい、おいまさか……!」

 バケツを捨てて、脳内に浮かぶ最悪の予想を必死に否定しながらアベルは走った。しかし。

「おぉ……なんと……こんな……」

 ショックのあまりにアベルは膝が抜けて崩れ落ちた。最悪の予想が当たってしまった。プール4つ、およそ3000匹のイールが全部、白い腹部を上に向けて斃れているのではないか!?当時の物価を日本円に換算するとおよそ1億8千万円の経済的損失!しかしアベルが悲しむ理由がそれだけではない。

「ジェイミー、オリバー、アンソニー、サファイア、ディアンク、ルビンスキ……みんな……くうっ……!」

 噛みしめるように吐き出した名前、どれもアベルがシラスウナギから手塩にかけて育てた、ポテンシャルにあふれたイールたちだ。いずれは食べてみたかった、人に食べて欲しかった。きっととんでもなく旨いはず。それが今、こんな形で、無駄に消耗されてしまった、無意味に!無価値に!

「ゲホッ!ゲボッ!アベルの旦那、やっと来たか……」
「はっ」

 声の方向に振り向くと、プールの畦に一匹のオオウナギが居た。彼の名ヨレス、アベルが居ない時にプールの秩序を管理する警備職イールだ。その鰓の動きが遅く、今にも息が絶えそうだ。

「ヨレス!生きていたのか!」アベルはヨレスの傍に駆け付けて、彼を拾い上げた。「待ってろ。とにかく水がきれいな場所に……」
「無駄です……おれは、もうすぐ死にます。エッホ、レッホ!」
「なら教えてくれ!何があったんだ!?」
「毒です、池に毒が入ったんです…...おれは体が大きいからここまで耐えたけど、ほかのやつらは……」
「毒だと!?誰がそんなことを!」
「誰かが意図的にやったんです……よく、聞いてください」

 決死の表情のヨレスに、アベルは息を呑んで、心構えた。空気が張り詰める。

「池に毒を流したのは旦那の兄、カインさんです」

 真相を伝えきって、ヨレスは事切れた。

(続く)
 


 

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