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「自信がない」のは優しさの表れ

どうすれば自分に自信を持てるのだろう。

僕はこう考えてしまうときがある。こういうときはたいてい、自分のメンタルが弱りがちなときでもある。わりと最近多めなので参ってしまう。

自信を持つ方法は、いくらでもある。たとえば、書店に売っている“前向きになれる本”的な自己啓発書を読むのもいいのかもしれない。僕はこれまで、何回も「自信を持つ → 自信をなくす」を繰り返してきた。きっとここ最近の状態も、このループの中にいて「なくしている」ことが起因しているのだろう。

一方で、僕の周りには、いつも自信たっぷりで堂々としている人も少なくない。うらやましく思うことも、結構、ある。

でも、ホントに自信たっぷりの人って魅力的なのだろうか?

「ウチの会社はね、自分がいなきゃまわらない」、「世間の人はどうしてもっと頑張らないだろう。自分には信じられない」……といった話を聞いていると、「すごいなぁ」と思いながらも胸がモヤモヤする。

人にはいろいろな事情があって、頑張りたくても頑張れないときだってある。それなのに「自分だけがよくやっている」などと思えるというのは、ちょっと想像力が足りないんじゃあないだろうか。

それに比べると「自信がない」という人は他の人たちのことをよく見ているし敬意も持っている。だからこそ、他人と自分を比べて「自分はこれじゃダメだな」と思ってしまうのだ。

僕なんかもまさにそうで、(プライドが異常に高いくせに)自信がない。社会で自分の収まるべき空間がどうしても見つからないから、とりあえずそのままでいる言い訳として、「困ったら死んじゃえばいいや」……みたいな極端なことを考えていたりする。それがある種の精神安定材になっていたりもするのだが、それをやっていると、いつか死なないと精算できない、という深みにはまっていってしまう。

自信のなさから自分を責めたり、どんどん落ち込んだりするのは避けたいところ。だから、こういうのはどうだろう。優しさはそのままに、他の人をすごいなぁと思ったときには必ず、「まあ僕だってけっこう頑張っているけどね」と自分を励ますという習慣。

誰かをリスペクトしたら、ついでに自分もリスペクト。それで「自信のなさ」はかなり和らぐのではないだろうか。

あんたはすごい。そして僕だってすごい。

みんなでそう思い合えば、世の中はもっとすごしやすくなる気がする。

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