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息を出しきると、吸うべき息が自然に入ってくる

肩ひじ張らずに、まずは等身大で文章を書いてみる。ただただ、愚直にそれを続けてみる。
・・・
そんな気持ちから昨日、こんな記事を書いてました。

なにはともあれ継続です。そして習慣化。一歩一歩行きます。

この記事を読んで、近しい友人たちからは

  • やっぱり頭いいし、センスもあるねぇ!自信持って!w

  • ケレン味のない文章!笑笑

とか「w」「笑笑」に多少、違和感を覚えながらも概ね好評でした。
そんなことより、noteを公開するたびにfacebookのMessengerでURLを彼女たちと共有することになってしまっているルールをなんとかしてほしいのですが。デジタルなんだかアナログなんだか、よく分かりません。

さておき。

いい記事を読みました。株式会社FoundingBaseで四万十町営塾「じゆうく。」のスタッフとして活動している高倉大希さんの『吐くから、吸える』。

泳ぐことが苦手で25mに到達できなかった過去。そこで得た気づき。それは、「水の中で息を吐いていないから苦しくなる」ということ。

中学生の頃に読んだヨガの本に「息を吐きつづけると、出しきったところで吸う息が自然に入る」というようなことが書いてあって、感心したことがあります。それを、なるほどなぁと実感してから、ぼくはまずは出しきろう、と考える体質になっています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所

糸井重里さんのこの本はかつて僕も手にした本です。

思い出しました。糸井さんがすごいのは、ヨガの本を読んですぐに実行に移して体質にまでしていること。

高倉さんに至っては、それでもうまくいかず、25mの壁をタッチできるようになるまでに、いろいろな方法を試みたこと。

息継ぎの回数を、調整してみたり。
顔を上げるときの角度を、調整してみたり。

そうして的を外しつづけたからこそ、最終的に的の輪郭を捉えることができた……と高倉さんは言います。

もしかしたら、糸井さんもすぐにはうまくいかず、背後には“人知れずの努力”があったのかもしれませんが、それは僕には分かりません。

「どんな仕事でも、とにかく毎日、一〇年やったらモノになる」と言いましたが、一〇年以上やっている人は、まず、「自己評価が正確である」と言えるんです。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社

そしてこれです。

僕に近しい、例の同世代の女性の友人もいつもこれを言います。

  • 急がば回れ

  • 隗より始めよ

  • 千里の道も1歩から

  • 過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる

って。

10年かどうかは分かりませんが、続けることに価値があるのは疑いようのない事実だと、僕も思うに至っています。(遅ればせながら。でも今、気がついてよかった!これ以上、遅くならなくて!)

何度もアウトプットを重ねることによって、ようやく自身の「言動」と「結果」が重なり合っていくという事実。

主観的な「こうだろうな」と、客観的な「こうである」がぴったりと重なったときに僕たちは大きな力を発揮するということ。

実は、情報はたくさん出した人のところにドッと集まってくるんだ、という法則があるのです。もらってばかりいる人は、いつまでたっても「少しもらう」ことを続けることになります。おすそわけをたくさんしている人や企業には、「これも、あなたが配ってください」とい新しい情報が集まる交差点のようになっていきます。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所

こうも書いていた糸井さん。
だから、「note続けるコツ、教えてください」なんて都合がよすぎですッ!(笑)

「インターネット的」。
もう一回読んでみる、いいタイミングなのかもしれません。

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