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僕は今、或友人に日記をまた書いてくれと言われ外発的にキーボードを叩いている。

ある部活の遠足に招待された僕は、今日が日曜日なのにも関わらず朝の七時に起床しシャワーに入り身支度をする。

少しギターを弾いて時刻が8:25分になったあたりで集合場所の食堂へと向かう。

入って見ればそこには先生とあまり話さない女子が数人いて、僕を招待してくれた男の子はまだ来ていない様子だった。

とは言っても集合は8:30であったから少し待てば来るだろう。そう思っていると予定を大きく過ぎた40分に彼らが到着したので僕は落胆の意を隠せなかった。

バスに乗り込み僕は数十分の旅を流れる景色にレンズを向けながら過ごす。

まずはNYの街にあるMOMATHという数学の博物館に行き、そこで幾つかのアクティビティーをする。

頭を柔らかく動かすよう努力している時点で頭が硬いのではないかと思う僕自身であったが、なんとか数個の問題は解けた。

そのあとはエンパイアーステートビル周辺にある韓国料理店が集まったフードコートのような場所へ行く。

なぜか僕はここでも中間管理職的立場を覆すことができなく、結局荷物番をしなければいけなくなる。

だけれど、幸運にもある女性の友人が僕の隣に座り雑談してくれたおかげである程度の暇は埋めれた。

そこで僕はいかに僕が飼っている犬が可愛いか、や北海道に行ってみたいと言われたのでぜひ歓迎します的な回答をし失礼なムーブをかまさないよう努力していた。

ちなみにその友人というのは数日前に僕をレッサーパンダと呼んだ謎な人物である。

そういえば荷物番の間にも僕はレッサーパンダに似ていると言われた。どうやら威嚇している時のレッサーパンダに似ているらしい。

彼女曰く、全く僕から怖さを感じないらしい。きっと感性が壊れているのだろう。しかし話の途中で僕を大きい声を出して怒るタイプの人間ではなく、理詰めしそうだと言われた時だけは感性が働いていたのだろう。

正直すごく変な人ではあるが暇を潰すのにはもってこいの人物だ。

そんなこんなで軽く十分以上は友達を待ち、僕は荷物番の役職から離れることができ、ご飯を食べることができたというわけだ。

そのあとはMoMAと呼ばれる現代、モダニティアートの博物館へと向かう。

他の男子は現代アートを四角三角を描いただけの絵に価値がつくのはおかしいと言っているこれまた感性を母のお腹に置いてきたような人間であったがために一人で作品を見て回っていた。

現代アートというのは確かに言ってしまえば、何を描いているか/撮っているかより、誰が描いているか/撮っているか、が重要になっているのはわかる

だが、現代アートというものでは誰が撮っているかがある意味作品の一部として、アートを成立させている。

であるから僕は男友達が言っている、四角三角だけを描いているだけで価値がつくのはおかしいという理論は好いていない。

特に僕の心に残ったのはバイオリンにポップコーンの種が敷き詰められている作品だろう。

もともとの生産関係から切り離されたバイオリンは、音を奏でる楽器ではなくポップコーンの種を収納するだけの箱となっている。

だけれど僕はこれが面白いと思うのだ。とても面白い。

ある物をもともとの生産関係から引き離すという行為は批判されがちではあるが、僕はTPOなどをわきまえている限りはそれを批判する気はない。

なんなら面白いとさえ思っている。

時間がなかったので全てを見ることはできなかったが結局お土産にラジオも聞けるおしゃえれなスピーカーなどを買い、最後の目的地である紀伊國屋へと向かう。

僕はその場で日本語書籍である三島由紀夫先生の「金閣寺」と安部公房の「壁」を購入したわけだが

先程のレッサーパンダは折角NYに来たのだからと言って太宰治の「斜陽」を英語訳したものを買っていたと思う。

実は僕は日本語の本を英語に訳されるのが嫌いであるのだが。

実際ノーベル賞などでは、日本語書籍の場合は英語に訳されたものが審査員の元へと届けられる。

しかしそれは果たして物語の本当の理解へと繋がるのだろうか。

これは僕の持論であるが、僕は日本語ほど美しい言語はないと思っている。だからこそなぜ美しいものの姿を奪うのか。僕は理解ができない。

だからと言って“訳す“という行為を否定すしたいわけではない、なぜかと問われれば、それは僕も英語の書籍を日本語、ましてやロシア語を日本語に訳した本を読んでいるからだ。

そして興味がないわけではない。

どのように訳されているのか、どのようにあの太宰独特の文体を英語で表現しているのか、それは本当に気になる。

現実的に考えてレッサーパンダは本を読み終えれないだろうから借りることはできないだろうけれども。

少し補足だが、僕は彼女をこんな呼び方で表現しているが嫌いなわけではない。むしろ人間としては好きな方の部類である。

あの独特の雰囲気はどこから来ているのか、というのは気になる点ではあるがまあ気にしないでおこう。

帰りのバスはごく平和で僕も睡眠をとっていた。実際思うことがいろいろあったから平和に寝られていたかと聞かれればそうではないし、言いたいことはあるが場をわきまえようかと思う。

帰ってきたあとは特に何も起きずに、強いていえば僕は寮対抗レースのリレー走者に選ばれたことだろう。

僕はリレーが苦手であるから嫌なのだが仕方がないだろう。選ばれたからには全力で行こうと思う。

恋愛に関しては僕はそろそろ今だにLのことが好きと思われているのがいい気がしない。

特に新しい思い他人ができたわけではないのだが、他の子からいまだに彼女について質問されるのが少し気だるくなってくる。

ならば僕は今誰も気になっていないという状況にした方が楽だ。

“好きではなくなった“ではなく、

“僕には気になっている人がいない“という点が重要だ。

遊んでいると時間は早く過ぎ、やっていない宿題の存在に気付かされるが僕は見なかったことにしようと思う。

そういえば計算機を買うのをまた忘れた。

申し訳ないけれどもまた借りてもいいですか。

呼んであろうベーシストにはここで頼んでおこう。お願いします。

というわけで長くなったが今日の日記を終わろうと思う。

それでは

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